📖 『動物は何をしゃべっているのか?』を読んだ(Audible)🦜🦍

taea
·
公開:2026/1/29

シジュウガラの話す言葉研究で有名な鈴木俊孝さんと、ゴリラの話す言葉の研究で有名な山極寿一さんの対談本。

動物にも言語っぽいもので仲間と意思疎通することがあり、なかには文法のようなもののまで活用している種があることもわかってきているらしい。

動物の会話や言語のあり方は、その動物の生活スタイルやその中での必要性と密接であるという。たとえば人間は、今では言葉が主なコミュニケーション手段だが、当初はジェスチャーがコミュニケーションにおいて大きな役割を持っていたとのこと。歩行中に完全に手が空くのは霊長類の中でも人間だけで、手に関する感覚もより精密な人間な、意思疎通にも手を活躍させたのだろう。しかし、ジェスチャーは目の前の人にしか意思を伝えられないのに対し、発声を介した言葉であれば周りの数十人に届く。集団で生活しその中での円滑なコミュニケーションを重要な生存戦略とする人類は、ジェスチャー→発声→会話→文字と、より多数の相手に伝えるために効率が良い伝達手段が選ぶようになっていったとのことだ。

一方トリは口腔での発声を使ったコミュニケーションが主らしい。トリの手は羽に相当するので飛ぶのに忙しくジェスチャーが使えない。唯一動かせる口が発達して色んな発声方法を獲得したというわけらしい。

この本では動物がどんな言葉を話しているかにフォーカスすると同時に、私たち人間も含めて話している「言葉」というものは究極なんであるのか、ということに踏み込む。

動物は言葉のようなものをしゃべれる種もあるが、それでも人間とは見えている世界がかなり違う。可視光域が違ったり、チンパンジーは人間よりもはるかに優れた短期記憶を持っていたりする。

例えばここに一枚のドアがある時、人間はそれを見てドアだと捉えるが、ドアというシンボルをしらないゴリラは「木の板」と考えるだろう。しかし、それも本当なのだ。ドアはドアであると同時に木の板でもある、人間は「ドア」という概念に囚われて、そのドアが木の板でもあることに気づかなくなっている。これが、言語にとらわられてしまう弊害の例であるという。言葉は物事を把握し、他者にある一定の概念を伝えるのにとても便利だが、言葉にできなかったことはすり抜けて無かったことになってしまう。得てして、こうした言葉からこぼれ落ちてしまうものに大切なものがあるのではないだろうかということが、本書の問題提起のように思った。

現代のAI化やインターネットによる言語偏重のコミュニケーションもその傾向に拍車をかけていることにも、筆者らは警鐘を鳴らす。

言葉だけでなく、ともに顔を合わせた人り、一緒に踊ったり歌ったり、昔から私たちもやってノンバーバルなコミュニケーションにより「共感」を交わすことにも、他者との交流の本質があることもまた、動物の言葉を研究することによって浮かび上がってくる。このことは、現代の言語優勢の時代に、さらに重要性を帯びてくるのかもしれないなあという予感を持った。もしかしたら昨今の分断の問題を解く鍵もこのへんにあるのかもしれない。

あと、鳥を研究してる人はトリっぽくなるし、ゴリラを研究する人はゴリラに似てくるらしい。いい本だった。

@taea
🐶 イマジナリーおもちと暮らす無職