#006
最近仲良くなった女性のRさんの、まずいものを食べたときの話がとても面白い。
彼女は、家族と行った焼肉チェーン店のまずさを熱く語ってくれた。
ダクトが煙を吸わないので、タン塩の量の少なさにも気づかなかったほど目が痛くなった。それで1人前1000円もするなんて、ぼったくりだと憤った。煙が夫の顔に直撃するので、席を変えてもらったら、窓が全開で風邪をひきそうになったというのだ。
別の日には、彼女が『本格』ベトナム料理店での悲惨な体験を教えてくれた。
友人の知り合いが開いたというその店には、ママ友と一緒にランチに行ったのだが、客は彼女たちだけだった。ランチメニューは2種類しかなく、ひとつは定食屋の豚の生姜焼きにしか見えない料理で、ベトナム語の名前がついていた。もうひとつは、ガパオライスだった。タイ料理だ。しかも目玉焼きが乗っていない。どちらも食欲をそそらなかったが、仕方なく生姜焼きを頼んだら、2分で出てきたが、冷めていたというのだ。
Rさんは自分の料理のまずさについてもまずいトークをする 。3日かけたカレーがまずくて、味を調えたらますますまずくなった。最後は自分で判断できなくなって、友達に試食してもらったら、案の定、酷評されたという始末だった。
彼女のまずいトークは、わたしにとって新鮮で魅力的だった。まずいものを食べたというネガティブな体験を、ポジティブなエンターテイメントに変える才能には感心した。自分もそんなトークスキルを身につけたいと思った。彼女はまずい店に引き寄せられる魔力があるのだろう。わたしはそんな彼女のまずい飯トークをもっと聞きたい。
まずい店でも、Rさんと一緒なら楽しい会食になるかもしれない。いや、やはり話だけで十分だ。
#007
家庭料理における重要なスキルのひとつとして、家にある食材で適当にパパっと料理がつくれる技術が挙げられる。これはヒトとしての知性を発揮する行為だと言えるのではないか。独居生活を始めておおよそ半年間、毎日欠かさず自炊を続けているが、その重要なスキルを少しだけ身についたように感じている。
昨日の夕食。家にある食材は、鶏もも肉、トマト、長ねぎ、万能ねぎ、あとはニンニク、生姜、常備の調味料。さて、何をつくろう。揚げ物を食べたい気分だったので、鶏肉を片栗粉をまぶしてそのまま揚げるという作戦を立てる。
そこからは、もう感覚でつくる。ジップロックに鶏肉を入れてニンニクと生姜をすりおろし、料理酒とメープルシロップと醤油を加える。もみ込んだら、一旦寝かせる。
30分後、もも肉に片栗粉をまぶし、中華鍋でじっくりと揚げる。黒酢、しょうゆ、メープルシロップ、長ねぎと生姜のみじん切り、ごま油を混ぜたタレをレンジで温め、それを細かく切ったトマトをのせた揚げ鶏にかける。最後に万能ねぎをパラパラと散らす。
おいしそうな一品が完成した。トマトの赤と、万能ねぎの緑が映えて見た目が楽しい。トマトと黒酢の酸味が爽やかな味わいを演出する。幸せな気分になった。料理は創作のアイディアが沸き起こり、それを形にして、食べるという一連の過程で、すぐにフィードバックが得られるのがすばらしい。
わたしにとって、食事をつくるという行為は、その日の心に溜まったホコリを払い落とす、精神浄化のような効果がある。そして、自分でつくったものこそ、世界でいちばんおいしいものだ。