野菜づくり講習会 第2、3回

第2回 2024年4月13日

先週作った畝(うね)にズッキーニ、サニーレタス、リーフレタスの苗を定植した。「定植」という言葉を知らなかったので、休憩中に辞書を引いた。「種が余ったので、千鳥植えにしましょう」と講師が提案する。「千鳥植え」のニュアンスはなんとなく理解できたが、具体的な方法を講師に質問する。千鳥植えとは、2条以上で栽培するときに、千鳥の足跡のように植え付けることとの説明だった。こんどは「2条」という単位が分からない。また聞く。「条」とは作物を植えつけた「列」のことを指すと教えてくれた。

受講生は30名ほどで、若い参加者は少なめ。年齢層は30代から60代が中心で、男女比は6対4ぐらい。話しやすそうな人をみつけて受講のきっかけや、ズッキーニのレシピなどを尋ね、徐々に距離を近づけていく。どことなく文化系な雰囲気を漂わせる若手農家の講師に、世田谷区の農地の広さについて聞いたところ、「23区内では練馬区に次いで2番目に大きい」とのこと。世田谷区は面積も広く、歴史的にも地理的にも合点がいく。

第3回 2024年4月20日

今朝もクワを使っての畝づくりからのスタート。初めて触ったときは思うように扱えなかったが、少しコツがつかめてきた。土をすくって“スッ“とクワを抜いて落とす。講師の無駄のない動きをみてると、この“スッ“という感覚がクワを使うときの肝だと感じる。

クワは、東南アジアのイモ作農業の始まりとされる約1万5千年前から、人類の手によって使われ続けている。こんなにも長きにわたり愛用されている道具は他にあるだろうか。クワに比べればiPhoneなど駆けだしのひよっ子もいいところだ。ご先祖様かもしれぬ1万5千年前の農民たちと、途方もない歳月をかけて使われ続けているクワに敬意を込めて、わたしは念入りに土を耕した。

Wikipediaの「鍬(クワ)」の項目を読んでいたら、鍬にまつわることわざはどれも風情があるものだった。

『縁の下の鍬使い』→環境のせいで力を存分に発揮できないこと。

縁の下でまんじりと鍬を見つめる人を想像すると、なんともやるせない。

『針で掘って鍬で埋める』→こつこつ努力したものを、いっぺんに駄目にする。

女の子が時間をかけて砂のお城を作っているのを、無慈悲にシャベルで崩す悪ガキがいた。あいつのことだ。

『鍬を担いだ乞食はこない』→ 労働を怠らなければ、生計には困らない。

鍬はまさに労働者の象徴だ。鍬はただの農具にとどまらず、歴史を通じて武器としてもその価値を発揮してきた。いつかわたしも革命や蜂起に参加するときが来るかもしれない。そのためにも自分の手に完璧に馴染む、「マイ鍬」が欲しくなる。もし、わたしが突然に「マイ鍬」を持参して講習会に参加したら、皆はどんな反応をするだろうか。


本日は、ミニトマトの「ラブリーさくら」、中玉トマトの「レッドオーレ」、そして「京ゆたか」と「ピー太郎」というピーマンを定植した。どれもブランド名が洒落ている。 「ラブリーさくら」はG1を制した雌の競走馬のような気品を漂わせ、「京ゆたか」は、地方巡業を精力的にこなす演歌歌手を連想させる。

最後に枝豆を播種(はしゅ)した。「播種」という言葉も知らない単語だった。播種後、苗が育ったら別の畝に移植するらしい。

はしゅ【播種】
(名)
作物の種子をまくこと。その方法に撒播・条播・点播の三種がある。「▼播種期」
(大辞林)

枝豆の種は、予想外にもアメリカのグミを彷彿とさせる、けばけばしい色合いだった。なんだこれは?と思ったが、肥料が添加されていて、そういった色になっているとのこと。この日は気温が25度近くまであがった。自分で収穫した枝豆をつまみにビールを飲んだらおいしいだろうなと思いながら自転車で帰路についた。

@tai
上村朔之助(うえむら さくのすけ)…1975年生まれ。兵庫県芦屋市出身。日本大学芸術学部中退。映像ディレクター、小鳥ものづくり集団「pico」、専業主夫などを経て、「ぴよぴよホームズ」を設立。小鳥物件の譲渡やイベントの開催、鳥グッズの販売などの事業を展開中。インコ歌人、詰将棋作家、ボウラーとしても活動。お問い合わせはXのアカウントまで。 @taikichiro