ボウリング場で衝撃的な出会いをした話。

上村朔之助
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3年前にボウリングを始めた理由のひとつは、インターネットやSNS、それに付随するサブカル、今で言うポップカルチャー的なものと少し距離を置きたいというものがあった。

Twitterやカルチャー系のYouTube、Podcastなどを日々摂取していると、あれも観ないと、これも聴かないと、と焦り、時代に取り残されるのではないかという不安に駆られる。誰に課されているわけでもないのに。

ボウリングをしているときは、物理的にネットから離れられるし、そこで知り合った多くの人は私よりも高齢で、嗜好もサブカル的なものとは正反対な人たちばかりだった。

その空気が心地よかった。ほぼ60代、70代の人しかいない中で、私は最も若輩なので、皆からかわいがられるし、ボウリングという共通の趣味のおかげもあって、自然と打ち解ける。毎日顔を合わせていると、「坊っちゃんの誕生日に」と息子へ図書カードをプレゼントしてくれたりする。

ちゃんと数えたことはないが、ボウリング仲間は100人を超えている。しかも、毎週会っているので、関係は濃くなっていくばかりだ。それでも、サブカル的なものとは無縁であって、心の平穏が保てる。ストライクが出るたびに、どんどんと過去の自分がデトックスされていく、そんな感覚だった。

昨年2月のこと。いつものように練習会に参加しようとレーンに入ったら初顔の人が座っていた。「上村と申します」「はじめまして、イシマルです」挨拶を交わした後、モニターを見上げて名前を確認すると、驚きのあまり声が出なかった。

石丸元章

「ええええぇ、あの石丸元章さんですか!?スピードの」「ええ、まあ、はい」。石丸さんはばつが悪そうに答えた。

「石丸元章」という名前を聞いて、知らないという人はきっと健全な人生を送っていると思われる。偏見だが。90年代のサブカルに感化されてきた人にとっては、石丸元章は最重要人物のひとりなのだ。

以下にWikipediaの「石丸元章」の項目から一部引用する。

石丸元章

1965年8月9日 日本のライター・作家・ラジオDJである。

1990年頃よりライターとして日本の薬物事情やジャンキー(薬物依存者)を取材していたが、取材の過程で次第に自身も覚醒剤使用に溺れるようになっていく。1995年9月に覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕。同年12月に懲役1年6月執行猶予4年の判決を受ける。一連の騒動を描いた、私小説的ノンフィクション『スピード』(文春文庫)がベストセラーとなる。

「スピード」は時代を照射した名著で、日本におけるドラッグ文学の中でも金字塔だ。周りの友達は、誰もが読んでいた。澄んだ世界と混沌を描写し、ぐんぐんと加速していく文体は今でも鮮烈だ。「平壌ハイ」「覚醒剤と妄想 ASKAの見た悪夢」など、他の作品もほとんど目を通している。サブカルから最も離れた場所にいるはずなのに、サブカルの権化と邂逅してしまうというカルマ。これが私の人生最大の答え合わせだったのかもしれない。

当然、周りの人たちは石丸元章が何者なのかなど知らず、昼飯を食べながら、「元章、お前はダメだなやつだなあ、ダハハハハ」などと額にツッコミを入れている。そんな風景を見ていると不思議な気分になる。もう後には引けない、サブカル者として生きる覚悟を決めた。

お互い元ジャンキーだ。元章さんとはすぐに意気投合した。初めて、カルチャーとしてのボウリングを語り合える人が現れた。お揃いのTシャツを買ってダブルス戦に出場したり、遠方のボウリング場まで出稽古に行って徹夜で練習を重ねたりもした。「上村さん、青春ですね!」。夜中から明け方まで黙々とボールを投げてボウリング・ハイになるふたりのおじさん。

最近はたまにしかボウリング場には来ないけれど、忘れたころに「アメリカで銃乱射事件がありました。なんと現場はボウリング場です!」といったボウリング界のニュースを教えてくれる。その後、北野武やスコセッシが映画化したら、ボウリング場を使ってどんな非道な殺しのシーンを考えるだろうかといった、いかにもサブカル的な不謹慎なメッセージのやり取りが、ふたりの間で延々と続く。

@tai
1975年生まれ。兵庫県芦屋市出身。10代を神奈川県葉山町で過ごす。県立横浜緑ケ丘高校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。映像ディレクターなどを経て、現在は成城の有閑マダムと茶飲み話をするだけの簡単なお仕事をしています。Xにて、ぴよぴよホームズ代表取締役社長として活動中。 @taikichiro