疲れちゃったわたし、あるいはBBQの話。

上村朔之助
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1996年に真心ブラザーズがリリースした『GREAT ADVENTURE』に収録されている「アーカイビズム」には、こう歌われている。

一生ソフトの受け手でOK OK 映画音楽テレビマンガ 次から次へと面白いものが生まれてくる それらを受けて受けて受けて受けて それが生きてる理由 死なない理由 無限に広がる娯楽の世界 なぜなら興味は枝分れ

当時のコンテンツに対する空気感を生き生きと描写しているし、予見めいた歌詞である。1996年と現在、コンテンツを巡る環境は大きく変わった。その大きな違いはいうまでもなくインターネットとスマホの存在である。「生まれてくる面白いもの」に触れる敷居が劇的に低くなった。わたしもポップカルチャーを人一倍楽しんできたし、影響を受けた作品も多い。だが、"無限に広がる娯楽の世界"に、心が疲れを感じ始めているのが本音だ。正直、この絶え間ない情報の津波には、もう疲れ果ててしまった。

そう思うのは年をとったことが大きな要因だろう。スマホを手にすると、ほとんどのコンテンツに簡単にアクセスできる。コンテンツは日々増えていく。それを追いかけ始めると止めどがない。すぐに疲れてしまう。もし今、わたしが20歳だったら、目を輝かせてコンテンツの洪水に身を委ねるだろう。コンテンツジャンキーの友人たちから「ゲーム・オブ・スローンズ」を勧められるが、シリーズ全部を見る気力も体力もわたしにはない。見ればおもしろいことは分かっているのだけど。

わたしはほぼ毎日、「肉のハナマサ」で食材を買い、家で夕食を作る。ピーラーでニンジンの皮を剥き、包丁で大根や鶏肉を刻み、フライパンや鍋で焼いたり煮たり、味見をしたり。生き物としての原初な感覚がよみがえる気がしてくる。料理中は動画や音楽をかけず、静かで単調でミニマルな調理の生音だけに集中する。デジタルコンテンツに疲れた自分の心が浄化されていくような感覚を味わう。

寝る前にはギターの弾き語りをする。歌もギターもなかなか上手くならないが、それでも自分の指で和音を奏でて、声帯を震わせてメロディを発するのは身体に気持ちがいい。歌うのはテレサ・テンや堺正章、桜田淳子、小林旭など昭和の名曲ばかりだ。彼らの曲の詞のフレーズやメロディに触れると、プロの作詞家・作曲家の技術やクリエイティビティの高さを発見する。そんな楽しさもある。

3年前に始めた競技ボウリングは、身体性への回帰を求める行動だったのかもしれない。ボウリングと、仏教の「色即是空、空即是色」との共通性を発見したが、それは長くなるのでここでは省略する。 ロードバイクを買ったのも無意識にコンテンツから逃避して、ただ無心に遠くへ移動がしたいという願望があったのかもしれない。すべて後付けの屁理屈なのかもしれないが。

先日、自分で育てた野菜を調理して食べたいという衝動に駆られ、区の野菜づくり講習会に申し込んだ。一年間、野菜づくりを学ぶと「農業サポーター」の資格を得て、地域の農家の手伝いができるというものだ。もちろん、食べることに困ったときの助けになるかもという思惑もある。「農業に関心があるんだ」と1996年、21歳の自分に話したら、現在のわたしを笑い飛ばすことだろう。

たとえば、日常の一環にバーベキューが組み込まれている人がうらやましい。炭を軽々と起こし、肉の塊を用意できるような人だ。生物としてのたくましさが眩しく感じるほどだ。彼らはきっとiPhoneのバッテリーの残量など気にしないであろう。うらやましいのは、意識しなくても肉体性をもって生きている感じがするからだ。

そういう人たちには、いま書いてることなど、デジタルデトックスは大事だし、たまには体を動かさないとね、で済まされる話であろう。しかし、屈託なくバーベキューに参加できない人生を送り、なおかつ肉体が老いていく分岐点に立たされたわたしにとって、デジタルコンテンツとどう向き合い、自分の身体性とどう折り合いをつけていけばよいのかというのはなかなかに喫緊の問題としてのしかかってきている。

@tai
1975年生まれ。兵庫県芦屋市出身。10代を神奈川県葉山町で過ごす。県立横浜緑ケ丘高校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。映像ディレクターなどを経て、現在は成城の有閑マダムと茶飲み話をするだけの簡単なお仕事をしています。Xにて、ぴよぴよホームズ代表取締役社長として活動中。 @taikichiro