息子の卒業文集を読んだ話。

上村朔之助
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11月から書き始めたこのブログには、「読まれた数」という機能がある。先日確認してみたら、ちょうど1,000回になっていた。それなりに読まれている。

わたしがここに文章を書き始めたのにはいくつかの理由がある。ひとつは、商業誌向けに書いていたものがいろいろな事情で頓挫してしまったので、それを再開するための肩慣らしとして。ふたつめは、自分史を書き残しておきたいと思ったため。みっつめは、息子が大人になったとき、わたしがどういう人間なのかを知る術として。これが一番の理由で、心の中では、未来の息子へ向けて書いている文章だ。

しかし、ウェブに公開してだれでもアクセスできる状態にしているので、読んでくれた人がどこかしらおもしろいと思ってもらえる読み物にするようには、最低限、心がけている。このサービスの良いところなのだが、読者の感想が届きづらい仕様になっている。それでもたまに、感想レターやSNS、会った人から「おもしろいね」「文章うまいね」といった感想を聞けると、照れながらも嬉しい。

先日、自分の文章について見つめ直す機会があった。もうすぐ小学校を卒業する息子の文集を読ませてもらったのだ。一部を引用する。

今のチームは弱いですめちゃくちゃ弱いですでもチームのまとまりも良いしこの前なんか優勝しました僕も五歳ぐらいからやっていますがとても楽しいチームです。

句読点という概念がないのだろうか。試しに添削してみると、

今のチームは弱いです。本当に弱いです。でも、チームのまとまりもよく、この前は優勝もしました。僕は5歳からやっていますが、とても楽しいチームです。

こんな感じだろうか。卒業文集としては満点だろう。しかし、ここでふと考えてしまった。読みやすくはなったけれど、息子の書いた文章の筆まかせの躍動感がなくなってしまっているのではないか。彼は勉強が得意ではないという。でも、卒業文集は試験ではない。彼の文芸を表現する場なのだ。通読すると、まるで現代詩のような畳み掛ける文章だった。それが自由でいいのだ。「勢いがあってよかったよ。気持ちがめっちゃ伝わったわ」わたしはそう言って息子を褒めた。

先日、Twitterを通じて初めて会った人から、「文章の感じから、哲学者みたいな雰囲気の人を想像してましたけど、全然違いますね」と言われた。そのようなギャップがあるのかと、こちらとしても意外だったが、自分の文章のシグネチャーは、一度固定してしまうと、なかなか変えられるものではない。だからこそ、息子の文章を読んで、もっと自由でありたいと思った。

@tai
1975年生まれ。兵庫県芦屋市出身。10代を神奈川県葉山町で過ごす。県立横浜緑ケ丘高校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。映像ディレクターなどを経て、現在は成城の有閑マダムと茶飲み話をするだけの簡単なお仕事をしています。Xにて、ぴよぴよホームズ代表取締役社長として活動中。 @taikichiro