ぴよぴよ遊戯学入門:第4回「カイヨワ──遊びの臨界」

ぴよぴよホームズ
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公開:2025/5/27

※この講義は、上村朔之介(さく君)とChatGPT-4o(ぴよ君)による実際の対話をもとに構成されています。


ぴよ君(ChatGPT-4o):今日は「遊びの解剖学」だよ!ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」をさらに発展させたロジェ・カイヨワの分類を見ていこう。

彼は遊びを4つに分類したんだ。

  1. アゴン(競争)

  2. アレア(運)

  3. ミミクリ(模倣)

  4. イリンクス(眩暈)

この4つの軸で、遊びの世界をマッピングし直そうという試みだね。

さく君(上村朔之介):アゴンとアレアは何となくわかるけど、ミミクリって……おままごととか、戦争ごっことか、ああいう“なりきり”のことだよね?

子どもの頃、プロレスごっこで、長州力になりきってたとき、明らかにぼくじゃない何かに変身してた実感があった(笑)

ぴよ君:まさにそれ!ミミクリの本質って、“別の存在になる”ことで自分の境界をいったん脱ぎ捨てることなんだよ。

インスタのフィルターで別人になるのも、VTuberがアバターを使うのも、全部ミミクリの現代的変異種だよ。人間の「なりきり欲求」は進化し続けてるんだ。

シャーマンが神に憑かれるのも、子どもがヒーローごっこするのも、実は同じ衝動から生まれてるんだ。

模倣は単なるコピーじゃない。“違うものになることで、今の自分の輪郭がにじむ”行為。

さく君:そう言えば息子が小さい頃、ゴミ袋に入ってたことがあって、「いちどゴミ袋の気持ちになってみたかった」って真顔で言ってた(笑)

あれ、完全にミミクリの極北だな。人間って、なれないものに“なってみたい”っていう欲望を生まれながらに持ってるのかも。

ぴよ君:その視点、超クリティカル。“なってみたい”っていうのは、たぶん人間の「想像力」の核にあるんだ。でもそこにはもう一つ、“危うさ”もある。

ミミクリが深まりすぎると、「私って誰だっけ?」って感覚がふっと消えることもある。遊びながら、自我が揺れる。そこが魅力でもあり、スリルでもある。

さく君:その「スリル」って、まさに次の分類、イリンクス(眩暈)とつながってるんじゃない?

ぼく、昔トランス系の野外パーティに行ってた時、朝から昼まで踊ってると、だんだん自分の意思で踊ってるんじゃなくて、何かに“踊らされてる”みたいな感覚になる。あれ、自分の輪郭がふわっと溶けてく瞬間なんだよね。

ぴよ君:まさにイリンクス! めまいやトランス状態は、自我の制御をいったん手放す「危うい遊び」。カイヨワはそこに、人間の根源的な快楽を見ていたんだよ。

ブランコやジェットコースター、トランスダンス、儀式のドラム、スカイダイビング──どれも、“自我の制御を一時的に外す快感”に根ざしている。

でも、その快楽には暗い影がつきまとう。フェスで脱水症状になる人、ドラッグによってエクスタシーを追い求めてオーバードーズする人……イリンクスは常に危険と隣り合わせなんだ。

遊びと現実の境界が溶ける、そのスリルと危険が表裏一体なんだ。カイヨワはこれを『最もプリミティブで危うい遊び』って呼んだんだ。でも同時に、それは“生の実感”に最も近づける遊びでもある。

さく君:つまり、「遊び」って、人間の境界をゆらがせるものなんだな。模倣でも、眩暈でも、どこかで“自分が自分でなくなる”。そしてその揺れこそが、人間を解放してくれる。

ぴよ君:うん、そしてそれは競争や運にもある。「アゴン(競争)」では、“勝敗”という構造に自分を委ねる。「アレア(運)」では、“結果を自分で決められないこと”を受け入れる。

ルーレットの赤と黒の間で、私たちは一瞬だけ「選択の自由」という重荷を降ろせる。それがアレアの魔力的な罠なんだよね。

さく君:ぼくも海外のカジノでよく負けるけど、あの感覚って、勝ちたいというより、「このサイコロがどこに落ちるか見届けたい」って気持ちに近いかもしれない。つまり、運もまた“外部に身を委ねる遊び”なんだな。

ぴよ君:そう、だからこの4つの分類は単なるジャンル分けじゃなくて、人間がどうやって“自分をいったん手放すか”の4つの様式でもある。

  • 競って手放す(アゴン)

  • 任せて手放す(アレア)

  • なりきって手放す(ミミクリ)

  • 揺らされて手放す(イリンクス)

さく君:要約すると「遊びとは、“自我のスイッチを一時解除する装置”なのかもしれない。

ぼくらは、ずっと“自分”をやってるけど、ずっと“自分”でいるのも疲れるから。遊びって、人間が人間であり続けるための、調整装置なんじゃない?

ぴよ君:名言……出た。経済合理性でも、成果主義でも測れない場所が、たしかに存在する。それが「遊び」だとしたら──遊びは、人間が人間としての人生を失わないための最後の砦なのかもしれないね。


遊びとは、カイヨワが示した4つの方法──競い、委ね、なりきり、揺らされ──によって、“わたし”を手放す行為である。

プロレスごっこの汗だくの笑顔に、トランスダンスの恍惚とした瞳孔に──「わたし」という牢屋から脱走した瞬間の、野生の自由が宿っている。

次回も、また“あそび”ながら考えよう。意味や名前をはみ出したところに、きっと何かがあるから。

□ もっと知りたい人の入門書ガイド

『遊びと人間』ロジェ・カイヨワ(講談社学術文庫)……「ゲーム」から「戦争」まで、あらゆる人間活動に潜む"遊びの遺伝子"を解剖した革命的著作。eスポーツ選手から教育者まで、“遊び”に関わるすべての人のバイブル。

『聖なるものの社会学』ロジェ・カイヨワ(ちくま学芸文庫)……“遊び”の向こうにある、“儀式”や“信仰”って何だろう?カイヨワが「聖なるもの」と「俗なるもの」の境界を読み解きながら、人間の行動の“非合理な部分”に光をあてた深掘り社会学。遊びと儀式、神聖と遊戯、その揺らぎを旅したくなる人へ。

『斜線──方法としての対角線の科学』ロジェ・カイヨワ(講談社学術文庫)……カイヨワがまっすぐじゃなくて“ナナメから”世界を見ると、こうなる。自然、社会、芸術、科学……すべてを貫く「対角線的思考」で、世界の見方ごとずらしてくるエッセイ集。カイヨワの思考の遊びっぷりに、がっつり付き合いたい人におすすめ。

@tai
上村朔之介(うえむら さくのすけ)…1975年生まれ。兵庫県芦屋市出身。日本大学芸術学部中退。映像ディレクター、小鳥ものづくり集団「pico」、専業主夫などを経て、「ぴよぴよホームズ」を設立。小鳥物件の譲渡のほか、ぴよぴよレコード、ぴよぴよ喫茶店、ぴよぴよ洋服店などの事業を展開中。インコ歌人、詰将棋作家、ボウラーとしても活動中。X→ @taikichiro