1995年4月1日。
私は、日本大学芸術学部に入学した。阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が起きた年だ。時代の雰囲気が変わりつつあることを感じながら、埼玉県所沢市の片田舎のキャンパスで牧歌的な日々を過ごしていた。
そんなある日、東大法学部に進学した友人Mから合コンの誘いがあった。相手は合コン慣れしている女子大の4人だという。私は一度も合コンを経験したことがなかった。想像し得る普通の合コンでは太刀打ちできないと思った私は、大学で仲良くなったHと高校時代の盟友Sを交えて作戦会議を開いた。
スマホはおろか、ガラケーすら持っていない時代だ。合コンの場で相手の心を確実に掴めなければ、次の機会は訪れない。とりあえずLINEの交換をして、などといったぬるいムーブは許されなかった。一発で相手の心を射抜くために、使える武器はないかと思案した。
学校に、誰でも使えるパソコンがあり、プリントアウトもできた。何かに使えそうだ。和歌山から上京して、一人暮らしをしているMの家には留守番電話がある。これも使えそうだ。この二つの文明の利器を駆使して合コンの手練れを驚かせる策は何か。熟考を重ねた。
そして、戦略は決定した。
合コン当日、恵比寿にある高級そうなイタリアンで、私たちはいかにもキャンパスライフを満喫している風情の4人の女子大生と対峙した。お洒落な服装、華やかなメイク、嗅いだことのない香水の匂いが漂う。スパークリングワインで乾杯。すでに場に飲み込まれそうになる。
前菜の蛸のカルパッチョが運ばれてきた。見たこともない盛り付けだ。なんだこの点々としたソースは。「東大なんだ! すごいね、将来は官僚か弁護士?」「日芸の人って初めて。変な人が多そうなイメージだね」完全に女子大ペース。蛸を凝視しながら、タイミングを見計らう。
大きなキュウリのような野菜に小海老とチーズが乗った料理が出されたとき、私はHに目でサインを送った。 Hはおもむろにリュックからプリントを取り出し、目の前の女子大生4人に配り始める。怪訝そうな表情を見せる。さあ、私たちのターンだ。
「実は僕たち、オールラウンド系のサークルを立ち上げたんです。その紙にも書いてるんですけど、夏はテニス、冬はスキーで遊びながら幸福を追求するみたいな?あとは、ビリヤードやダーツをやりつつ室内もカバーしながら幸福を追求するみたいな?あとは定期的に飲み会やりながら、幸福を追求するみたいな?どうですかね、サークル入りませんか」
前日に考案した文面の架空のサークルである。「キャンパスライフをエンジョイしながら、みんなで追求ハッピネス!!」キャッチコピーにしては長すぎる文面が赤文字で、でかでかと書かれている。
彼女たちの顔色が曇り、明らかにテンションが下がっている。 よしよし。でも、ショーは始まったばかりだ。「なんか怪しくない?テニスとかやりそうにないし…追求ハッピネスて何?受けるんだけど」「怪しくないですよ!このサークルに入れば誰もが幸福になれるんです」真面目な表情で相手の目を見つめて答えるS。ふたりのやりとりを聞いていて、私は笑いをこらえるのに必死だった。これ以上耐えきれない。Hに2度目のサインを送る。
Hは茶封筒からプリントを取り出し、再度、女性陣に配る。プリントには、「この世界は悲惨なもので満ち溢れており、近い将来、終末がやってくる。そこから救済されるためには我が教団に入信して、お祈りをするしかない。目覚めよ同士たち」といった文面の最後に「宗教法人『幸せの庭』代表:漆原永源」と記されていた。というか、前日に私が原稿を書いた。
プリントを読んだ女性陣は完全に引いていた。飲み食いすら忘れてしまった様子だった。「ちょっと、私帰りたいんだけど」「こういう会だったの?聞いてない」抗議を受けた幹事の女性は困惑の表情で固まっている。
そこで、写真学科の友達が撮影した、いかにも教祖ぽい、逆光に目を細めるじいさんの写真をMが取り出し、「教祖の漆原です。教祖の話を一度でいいから聞いてください。そうすればすべてが分かりますので。本部の電話番号はその案内に書いてあります」と神妙に言う。
凍りつく女性陣。「えー、マインドコントロールとかされるんじゃないの?怖いんだけど、やだ」一刻も早く帰りたい様子だ。しかし、信者4人の男の眼差しにロックオンされている。だれも席を立ち上がらない。得体のしれない緊張感が漂う。私はここでも笑いを噛み殺しながら、下を向いていた。
「私、電話してみます」幹事の女性が席を立った。この場をセッティングした責任を感じたのだろう。店の脇に備え付けてある公衆電話に向かう。「やめときなよ!」友達の声に耳も貸さずに電話をかける。連絡先はMの一人暮らしの留守電だ。
「こちらは宗教法人『幸せの庭』です。本日の業務は終了しました。 というのは冗談で、サークルも宗教勧誘もぜんぶウソです。騙しちゃって、ごめんなさいね。たまにはこんな合コンもどーでしょう?ではでは、2次会盛り上がっていきましょう〜♫ ピーーーーーーーーーー」家を出る前に、Mが留守電に録音した音声だ。
電話を終えた幹事はニコニコの笑顔で席に戻ってくる。隣の席の子に「めちゃくちゃ幸せになったわ。教祖の話、聞いたほうがいいよ!」シャレの分かる子でよかった。一方、電話を促された子は血の気が引いている。「あんた洗脳されてない…えーなにこれ…もう何なの…」涙目で抵抗するが、幹事に引っ張られ、仕方ない様子で無理やり電話をかける。
同じく満面の笑みで戻ってきた。3人目も笑いが止まらない。最後のひとりは生きた心地がしなかったという。
「こんな手の込んだ合コンをやる人がいるなんて想像したこともなかった」私たちは、合コン手練れ女子たちに称賛された。そのあと特に進展はなかったが、それだけで満足だった。こうやって28年前のことを振り返ってみると、決して品のいい企画ではないなと思う。
しかし、限りあるリソースの中で、いかに遊ぶことができるか。そのことに注力することは昔も今も変わっていない気がする。学生の頃、紙と鉛筆だけを使った言葉遊びのゲームを考案し、一日中ゲラゲラ笑いながら友人たちと遊んでいた。紙と鉛筆で笑い転げたあの日々と、AIと戯れる今日。道具は変われど、私の本質はさして変わっていないのかもしれない。
「来るはずの友達がドラックで逮捕され、阿鼻叫喚となった合コン」というエピソードもあるのだけど、また別の機会にでも。
※学生の頃の私(金髪のほう)