フードハブの経営について講演を頼まれ、それもデザインの視点で話してほしいと言われた。「自律共生する組織づくり」という大層なタイトルだ。ふむ!
いつもの講演会用のプレゼンテーションに加筆しようとMacの画面に向き合っているが、色々な物事が頭をめぐり一向に進まない。なので今更ながらデザインとはそもそも何なのかを調べてみた(wiki)
"It's not just what it looks like and feels like. Design is how it works.”
「デザインとはどう見えるかやどう感じるかだけでなく、どう機能するかだ」(私訳)
と言ったのは、スティーブ・ジョブスだそうだ。
ハーバート・サイモン(大組織の経営行動と意思決定に関する生涯にわたる研究で、1978年にノーベル経済学賞を受賞したひと)は、こう言ったそうだ。
「デザインとは, 現状を少しでも望ましいものに変えようとするための一連の行為である。」とした。
また、デザインの本質は「関係の構築」である。そのため、関係を構築するために形を作ることにデザイン本来の役割がある。
この最後の定義は私が考える経営におけるデザインの役割に近い気がする。
はじめに経営における関係の構築とは何なのか、次に、そのためにカタチをつくることとはどういうことなのか、最後に今みえてきている個の"業務範囲"をこえた自律的成果を書いてみたい。
経営における関係構築を考える
経営における関係と言うと様々なステークホルダーの顔が思い浮かぶと思うが、「自律共生する組織づくり」というテーマが予めセットされているので、ここは経営者と社員の関係性にフォーカスして話したい。ここでデザインすべき対象の関係性は、雇い、雇われる、経営者 vs 従業員という二項対立の関係性だ。
私たちの組織で取り組んだのは(現在も進行中)、給与を払い、払われる/評価し、評価される/話を聞かせ、聞かされるというような対立の関係性を経営者の仕事も現場の仕事もお互いの役割として認識し合うかだった。二項対立の関係性のままでいくら自律しろと言われても、情報や権力、そして資金が経営側に集中している状態だと、現場での決裁権や判断するための選択肢が少ない中での自律は難しい。
可能であれば、山の頂きを、社員に見せる(受動)でも、社員が見る(能動)でもなく、みんなが見える(中動)状態に持っていくことを理想としている。
パーパス経営という言葉を最近よく聞くと思うが、このパーパス(目的)のようなものを掲げ、それをみんなが「見える」状態を目指すのだ(そんな簡単な話ではない)。
フードハブの話で言うと「地産地食」と言う合言葉が設立当初からある。これは、私たちの活動のパーパスとも言えるし、地域のそこにあるものでなんとかするというデザイン的な縛りとも言える。これがフードハブのメンバーの中に文化や習慣、働くことと暮らすことを通して身体感覚として浸透している。
関係を構築するための形のデザイン
デザインの対象を「形」あるものに限定しないほうがいい。会社の中で関係性を構築するためにデザインすべき対象は、時に人事制度だったり研修の仕組みだったり、社員旅行やミーティングの方法だったり、新規事業だったりすると思う。私たちの組織で過去に実践したのは、大きくは下記の物事になる。
全員が集まる会議運営のデザイン
経営者が全員を招集する会議はひとつもない。全体会議を運営したい有志の社員が委員となり毎月の会議の(会社つぶれそうと聞いているけど大丈夫?みたいな)テーマを考え運営していく。もちろん売上報告や連絡事項の時間などはあるが、会社全体に自分自身の意思で関わっていくことの習慣や文化がここで醸成されてく
自分たちで書く情報メディアのデザイン
モノサスだと自社メディアの「ものさすサイト」、フードハブだと、毎月町内の新聞に折込チラシで配布している「かま屋通信」というのがある。基本的には、一人称で今おこっているモノゴトを誰にでもわかる言葉で書くというのがルールだ。ものさすサイトで約8年、かま屋通信は、通算75号(約6年)続いている。フランシスコ・ベーコンが言ったように、最終的に文章を書き伝えるということで、人は確かな自分になっていくのだと思う
人事制度のリデザイン
モノサスでは2022年から「ものさすひと人事制度」というのを導入した。詳しい話は割愛するが、これは、「先に信じる」ということを人事ポリシーとして掲げ、ある一定以上の経験を積むと、次年度の給与を自己宣言し、年度末に自己評価していくという制度になっている。経営陣の役割は、自身が宣言したその給与を先に信じて払い(投資)、それが達成できるようなサポートや仕組みを作っていくことになる。仕事をしていく上で最も重要な要素のひとつである「給与」を主体的に上げたり(時に下げたり)することができる。決定権が評価者側でなはなく自分自身にあるというのは、主体が大きく芽生えていくきっかけとなっている
本来は、登っている山とめざす頂が同じで、ある程度、自律した大人であれば、登り方やその道筋はもっと自由であってもいいはずだ。それを経営陣が登るための道具はこう、ルートはこう、ペースはこうとすべてを管理する枠に当てはめていく。また往々にして学校教育もこれに近く、私たちは管理に順応するようにうまく訓練されてきた。
もちろんみんなで一緒に山を登るのもいいし、ついていきたいので連れて行ってくれ!という人もいていい。でも、未経験の新人だって、手取り足取り指導されると成長の感覚や楽しみを失っしまうのも事実だ。
個の"業務範囲"をこえた自律的成果
勝手にできた、各チームの2週間研修?休暇?制度
<エピソードその1>
ある日、かま屋の料理人からカリフォルニアのバークレーにあるChez Panisseというレストラン(自分たちの活動の源流)に2週間研修に行っていいかと聞かれた。費用も自腹、有給をとっていくと言う。当然のごとく不在中もお店は今いるメンバーとアルバイトで回せる段取りも組んであると。
問題は、上司である料理長がまだその研修に行けてないことだと伝えたら、すでに彼女の渡米の段取りもできていて自分の後に2週間行く段取りも組み、すでに現地のシェフともやり取りを始めていると。
私が言ったのは、過去に研修費用などを最大10万円まで支払った実績があるのでそこまでは会社で負担できる旨を伝え、二人は会社負担の10万円+自己負担でアメリカに研修に行ったのである。帰国後の二人の成長が著しかったのは言うまでもない。
<エビソードその2>
かまパンの製造責任者から働いているメンバーのQOLを上げたいので2週間交代で休みを取る仕組みをつくったと伝えられた。営業日数も減らさない、売上も落とさないと言う。
すでに見切り発射で職人たちは、2週間、長野のパン屋に修行に行ったり、北海道のワインやチーズなどのつくり手を尋ね個人の興味の探求に時間を使い始めていた。さらなる成果としては、休みの期間中に出会った美味しいワインやチーズなどのお店での販売や試飲会、「パンとワインの会」のイベントなどがはじまり自分たちがやりたいことを軸に地域のコミュニティへの還元にも即座につなげている。
現在、後追いで、みんなで話し合いながら研修と有給を組み合わせたハイブリッドな制度を模索中ではあるが「Don't ask for premission, ask for forgiveness. 許可をとるな、許しをこえ」(やってから謝ればいい)という文化が育っていることや、会社や社会の仕組みを変えていい、変えられる、そして自分は認められているという実感がみんなの中にあるんだという現れではないかと思っている。
最後にデザイン経営を私なりに一言でいうと、「管理型」ではなく「対話型」の経営。「民主主義型」の経営だ。宇野重規さんは『民主主義のつくり方』(筑摩書房)でこう書いている。
「民主主義とは自分たちの社会の問題を、自分たちで考え、自分たちの力で解決していくことのはずだ」
この「社会」を「会社」に読みかえていくことが、私たちのデザイン経営だ。
モノサスの前代表の林が以前言っていた話だが(おそらく船井総合研究所が提唱している考え方)、今までの事業は、収益性 > 教育性 > 社会性 の順番で考えるのが一般的だったが、今は、社会性 > 教育性 > 収益性 の順番で事業を組み立て、それを循環させるべき時代がすでに来ていると。
これはまさにデザイン経営の得意とするところじゃないかと思う。