プラットフォームとしての会社
ーGaaS(Goverment as a Service)は、まさに政府がプラットフォームとして機能するというアイデアです。そこでは、政府はYouTubeやTwitterのようなソーシャルメディアプラットフォームと同様、自らコンテンツは提供せず、みんなが好きにコンテンツを作り、それを人に見てもらったり、販売したりすることを可能にするツール(道具)を提供するだけの機能を有します。ユーザーがコンテンツを生成する「ユーザージェネレイティッド・コンテンツ」(UGC)という考え方です。
『実験の民主主義』での宇野氏と若林さんのやりとりを参考に考えるとするならば、プラットフォームとしての会社というのも存在できないのか。GaaS(Goverment as a Service)→ CaaS(Company as a Service)。そもそも会社という集まりも結社であり、自治のために存在していたのではないか。
民主主義的、組織運営考
「自分たちが見たいものを自分たちで作る」というYouTubeの原則にならって「自分たちが実現したい社会を自分たちで作る」を原則とするのが「GaaS」であるというのが私の理解で、その意味でプラットフォームは、情報、知識、意見からお金、物資などをユーザー同士で交換することを可能にする雑多な「マーケットプレイス」の形を取ることになります。
これを参考にするならば、それぞれを以下のように定義できるのではないか。
YouTube:自分たちが見たいものを自分たちで作る
GaaS:自分たちが実現したい社会を自分たちで作る
CaaS:自分たちが実現したいビジネスを自分たちで作る
株式会社という仕組みは、通常、企業家が作り出した事業のために組織が編成される。個人は、その事業のミッションやパーパス達成のために組織に属してパフォーマンスを発揮していく。
組織に所属する人も物も事業の成長や拡大のための材料として扱われ、それは資本家または資本主義の道具として扱われる。富めるものが更に富を搾取するためのプラットフォームとして機能するようになってしまった。
一方で大企業は、集めた資金をさらに増やすべく(株主のために)イノベーションやインキュベーションなどを掲げ、新規事業開発に躍起になるが、事業の歯車として最適化された人材は枠組みを飛び越えて機能することは難しいのではないか。よってSGGsやソーシャル、トランジョンや共創などのビジネス界隈のバズワードを多用するコンサル会社などに助けを安易に求めるのだろう。
会社は誰のもの
YouTubeなどのプラットフォームの定義を、「自らコンテンツは提供せず、みんなが好きにコンテンツを作り、それを人に見てもらったり、販売したりすることを可能にするツール(道具)を提供するだけの機能」とするならば、
みんなが好きにビジネスやコミュニティをつくり、そこから収益を得ていくことを可能にするツール(道具)を提供する機能に会社という場がなることは可能なのか。それは繰り返される新たなベンチャーキャピタル(VC)のような仕組みでしかないのか。
大きな資本をもった人々に搾取されることがなく、協同組合的やEmployee Owned Companyのような新たな株式会社の仕組みと合わさりながら、ひとりではできない、自律的なビジネス環境をどうやって協力しながら組織としてつくっていけるかをずっと考えている。
下記、『実験の民主主義』より抜粋(P61〜64)
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ー私たちは国の組織図をイメージする場合、通常、大きい単位を上において、下にいくにしたがって小さいものになってくプラミッド型のヒエラルキー図をイメージします。ところが、トクヴィルのように、タウンシップやカウンティという小さい単位を上において、一番大きな単位である連邦政府・中央政府を一番下に置くと、一番下に置かれた中央政府を、今の言葉でいうところの「プラットフォーム」としてイメージしやすくなる。
面白い。行政府がプラットフォームであるという考え方は、ませにトクヴィル的な記述との仕方に基づいてこそ、構想可能になるのかもしれません。
ーGaaS(Goverment as a Service)は、まさに政府がプラットフォームとして機能するというアイデアです。そこでは、政府はYouTubeやTwitterのようなソーシャルメディアプラットフォームと同様、自らコンテンツは提供せず、みんなが好きにコンテンツを作り、それを人に見てもらったり、販売したりすることを可能にするツール(道具)を提供するだけの機能を有します。ユーザーがコンテンツを生成する「ユーザージェネレイティッド・コンテンツ」(UGC)という考え方です。
「自分たちが見たいものを自分たちで作る」というYouTubeの原則にならって「自分たちが実現したい社会を自分たちで作る」を原則とするのが「GaaS」であるというのが私の理解で、その意味でプラットフォームは、情報、知識、意見からお金、物資などをユーザー同士で交換することを可能にする雑多な「マーケットプレイス」の形を取ることになります。
(中略)アメリカの場合は、つながっているけれども分権的、分散的なシステムは維持されます。ここのやり取りはマクロかつローカル的ですが、ネットワークが張り巡らされていることはとても重要です。それは階層化されたピラミッド型の秩序ではなく、ネットワークによって自立分散的に編成された秩序だと言えます。
(中略)トクヴィルは、アメリカのいい点は、小さい国のメリットと大国のメリットをうまく兼ね備えているところだと書いています。小国は、相対的にみんなが平等で、お互いにちゃんとコミュニケーションを取りながら、それぞれの現場で自律的に課題を解決していけるし、大国は、人口の多さを活かし、それを経済力や軍事力に結びつけていける。その双方のメリットをアメリカはうまく組み合わせていけるとトクヴィルは褒めています。