他人ですけど

taida
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村上春樹「女のいない男たち」を読了した。

女というより、他者のいない男たちではないだろうか。「ドライブマイカー」でみさきは運転席に座っても緊張していないが、他の女性は緊張している的な文章があったけど、これは男性を異性として意識している緊張ではないだろうか。自分が性愛の対象と見られているのでは?という緊張、あるいは恐れ。

男と女が出会い、関係を築くこと、それが性愛が前提になっているけど、みさきと家福はそんなことなく淡々と会話している。普通の光景に見えるけど、でもこれって男と女関係ないよね。他者と他者が出会っただけだ。異性愛者たちにとって異性は性愛の対象でしかないのだろうか。他者として親密に関係を築くことはできないのかな。

「女のいない男たち」ではまるで他者は女しかおらずその他者とは性愛でしか結びつかない。名前のある女性はみさきともう一人いたかな?性愛をつながりに現れた女性は名前がない。他者より影が薄い。これは異性愛への批判じゃないか?他者との関係を狭めてしまうから。性愛の批判ではない、何かにつけて胸のでかさを気にしている程度には性愛はあるんだよね。

@taida
怠惰と書く。新しいSNSに飛びついては生活と反省、読書について綴ります。コーヒーはマンデリンが好き。