【習作】煙草と

かーしま
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筆者注:この間、サトウリョウタさんと飲みに行って、感化されて短編小説(?)を書いてみました。普段はインタビュー記事ばっかり書いてますが、以下の内容はすべてフィクションです。煙草をテーマに書いてみました。

煙草と悪友

 アパートの廊下の上、蛍光灯に吸い寄せられている蛾を見ながら、僕は初めて煙草を吸う。煙草は好きじゃない。いや、むしろ大嫌いだ。

 青白い光、初夏を感じさせる蒸し暑い空気、学生街のアパートだから許される馬鹿騒ぎ。意地になって飲んだ酒混じりの主流煙は、副流煙なんかよりももっと不快で臭い。不快を通り越してむしろ感動する。口の中でふかしているだけの吸い方を見て、同級生たちはことさら大きな笑い声を上げた。僕の感動は羞恥に変わったけれども、みんなはこの堕落した通過儀礼を済ませた僕を、少し認めたようだった。

 2011年6月。平成になった世の中で、僕らはいまだに昭和の臭い、というか、ヤニ臭い学生だった。横浜のキャンパスーー僕らが通った大学は、1、2年生は必ず横浜のキャンパスに通わなければならなかったーーに通うため、お互い知らない街から集まった学生たちは、たとえば学部とか、サークルとかで知り合う。僕らの場合は軽音楽サークルで、こうして誰かの家に集まって、馬鹿騒ぎをしていた。いわゆる宅飲みだ。この時期の僕たちは、みんな底抜けに明るかった。ある意味で、自分の生を実感しようとしていたともいえるのかもしれない。だけど、僕らはその「生」の在処はわからなくて、偶然出会ったことをただただ喜びあって、結局は自堕落な飲み会に落ち着いていた。あまりにも理不尽な現実を、誰もが受容しなければならなかったから。

 「本学に合格した方の中でも、今日という日を迎えられなかった方々はいます」

 2011年入学の学生に向けて、数ヶ月遅れで始まったガイダンスで学部長の教授の一言は、おおよそそんなものだった。

 出会ってもいない、すれ違ってもいないが、本来であれば僕たちと共にいることを予定していた存在が「いない」。欠番となっている学籍番号があるという噂も聞いたが、そんなわけはない。欠員が出たら出たで、補欠合格者を繰り上げて定員を埋めるのが大学というものだろう。けれども、それを検証したという話もなければ、誰も確かめようとも思わなかった。

 本来なら認知すらしないだろう、未知の人と出会っていた。もしかすると友人や恋人になっていたかもしれない、という可能性の痕跡。そんなことは誰も触れることも、ましてや囃し立てることもなかった。たしかその頃は「不謹慎」って言葉が流行していたが、そんなくだらない噂は、いくら不謹慎でも漏れ出すものだった。

 どうにかして、僕らは生きる実感を探していた。そういうと、ちょっと違う。別に酒を飲み交わすことが生きる実感でもないし、他人に合わせて煙草を吸い始めることが生きるということでもない。

 実際に、初めて吸った煙草はちっとも良いものではなくて、自分が持っていた軽蔑をより強くしていた。

「それってただふかしてるだけやねん。もっとこう、一回吸って、それを深呼吸するように吸ってみ」

 教わるままに肺に煙を吸い込んだ途端、僕は勢いよくむせ返り、友だちはまた大声で笑っていた。ニコチンが頭に回ってクラっとした時に思い出したのは、父の背中だった。ベランダで背中を丸めて煙草を吸っていた。咳が出ても、血痰が出ても煙草がやめられない、愚かな背中。

 こんなもの、もう絶対に吸わねえよ。そう思っていた。

 入学式が中止になったまま空洞になった数か月。多分その間に、僕らは結構寂しがりやになったんじゃないかと思う。

煙草と童貞

 「2年生」という時は、なにか背伸びがしたくなる年頃とリンクしているのかもしれない。君との連絡は、かつての2年生だった僕らの記憶、いうなればほろ苦い記憶を暗に孕んでいた。

 深夜2時、君は僕の手を握って、ふと呟いた。

 「もしもさ、30になってもお互い独身だったら、結婚しようね」

 今思い返すと、笑ってしまうような言葉を、君は冗談っぽく投げかける。ただ、僕はわかっている。おおよそ実現しなさそうなことや、無理を承知だとわかっていることを、君は時折言葉にしてしまう。君は僕よりもずっと聡明で、真面目で、分別のある人だ。

 けれど、誠実で真っ直ぐな性格であるからこそ、君は言葉にせずにはいられない。自分でもやめた方がいいとわかっていることを言うからこそ、君は手を握って、精一杯伝えようとするのだ。

 東京都内。自分の住んでいるウナギの巣のような賃貸とは違って、君の住んでいるワンルームマンションはもっと新しくって、高校生活を男子校で過ごした自分に眩しかった(君も女子校だったけれども)。

 「昔の女友だち」との再会。行き当たりばってり行き着いた部屋、お互いに酔っ払った意識、触れ合う手と手。もしもそこに、今の薄汚れた性根を持った自分がいたら、この物語はまた違った結末を迎えていたのだろう。ただ、その時の僕たちは、かつての記憶、あの時の肌感を思い出していたのだった。そう、まさにかつての「2年生」を思い出して。

 地方で青春時代を過ごした人の多くは理解できるだろうけれど、僕たちは校則で、年がら年中ジャージを着ていた。ダサい、小豆色のジャージだ。よくある青春を描いたアンソロジーのような制服姿の中学生はいなくて、ただダサいジャージを着た僕らがいた。けれども、心は少しずつ大人びてきていて、そこかしこに惚れた腫れた、付き合った別れたのゴシップが行き交っていた。

 僕もご多分に漏れず、同じ部活の女の子と初めて「付き合う」ということをした。ただ、(今の同年代がどのような営みをしているのか知らないけれど)僕たちはあくまでも思春期の入り的な、恋心を向けるべき相手としての他者というものを理解し始めたに過ぎなかった。ただし、その営みは非常にプラトニックで、肉体的な接触といえば手を繋ぐか、キスをするくらいだった。僕たちは保健体育の授業、あるいは先輩の猥談で教えられた知識以上は何も知らず、その話自体もある意味「神話」に聞こえるような話だったし、後者は神話ではなく、どちらかといえば寓話のようなものだったと僕は解釈している。

 放課後だったことは覚えている。僕は何かしらの目的があり、走り出そうとしてた。その時に僕の手はやわらかで温かい手の感触に包まれて、その代わりに確固たる意志のある強さによって阻まれていた。振り返れば、いつもよりも真剣な表情をした君がいた。「好き」とだけ、君は言った。

 結論からいえば、僕は君の告白を断った。そして、数年後に聞くと、君は中学生時代の一時期を、いじめられて過ごした。この一部始終を見守っていた友だちが先導していたことも後年知った。それを知ったのは、この君との一夜が終わったずっと後だった。

 現実に起こりうる事象はあまりにも唐突すぎて、しかも僕たちはその事象の奥底にある温かなる感情、あるいは単純に「想い」と呼ばれるものに鈍感にやり過ごしてしまうことがある。

 4年振りに自分の手を握る君の手は、その体温をしっかりと自分に伝えてくる。そして君は、自分の意志を伝えるときは必ず、目を見つめてくる。4年前と違うのは、僕に投げかけられる眼差しの中に見える希望と諦念の比率だろう。

 君はとても聡明で、僕よりも遥かに偏差値の高い大学に通っていた。都心に暮らし、都心の洗練されたキャンパスで片田舎に生まれ育った女の子である君が「君」を保つためにしてきた努力を、ボンクラ男子学生の僕には想像できない。ただ、僕らは少しだけ疲れていたのだろう。だからこそ、僕らは再び出会って、恐らく叶うことはない不思議な約束を交わすのだ。

 「もちろん。どっちが先に結婚するか勝負な。ちゃんと結婚式には呼べよな」

 そんなことを言った気がする。ただ、その時にはもうわかっていた。僕たちがこうして会うことなんてもう二度とないってことを。多分、同窓会とか、なにか地元の大きな飲み会では会うことはあると思う。ただ、そこで会ったところで、僕らはお互いを思い出にも残らない記憶に仕舞い込んで、眠りにつくだろう。そして、君の歩む先には家族がいて、僕の先にはない。なんとなくそんな予感がした。そしてそれは、今のところ正確に的中している。

 太陽は遥か遠くにあるのに、降り注ぐ光は温かい。君はそんな存在だと思った。酔っ払って、ふわふわとした意識の中で、君の手の温かさはしっかりと伝わるのに、どこまでも遠く感じた。

***

 夜明け前の街を東海道線は横切っていく。黒から紺へ、紺から橙へ。山の向こうで徐々に色が変わる空。優先席にすっぽりとおさまって、ペットボトルの水を抱えながら眠る同年代の酔っ払いがいるだけで、誰もいない車両。また新たな1日を迎える世界と、昨日の余韻。イヤホンでは、ずっとくるりが流れていた。

 電車はどんどん最寄りへと近づいていった。別に、その時に君とセックスをすれば良かったということではないのは君が一番わかると思う。それを後悔しているわけでもない。ただ、事実として、昨晩の一連の「儀式」は、君と僕がお互いに「違う」ということを再認識したに過ぎないのかもしれない。穏やかに僕らは決別し、もはや心が交わることもない。

 年月の経過によって僕らは必ず30歳を迎える。僕は分からないが、少なくとも君は健やかに歳をとっていくだろう。僕たちが交わした約束は保険なんかじゃなくて、並行世界の中で起こり得た可能性をなぞりあったに過ぎない。

 だからこそ、最寄り駅に着いた頃にはすでに君との「純粋な」夜は過去になっていて、改札をくぐったとき、その寂しさは急に押し寄せた。もはや君は過去で、僕はもはや「純粋」ではなかった。

 明け方のコンビニ。半分閉じた眼をしている店員さんは、あまりにも寛容に煙草を買わせてくれたことに驚いた。自分で煙草を買ったことがなくて、先日もらった銘柄を言ったら、店員さんは正確に同じものを出してくれたことに感心した。

 家に帰ったら、陽はおおよそ登りきっていて、うなぎの巣穴からから望む朝焼けは、ひどくきれいだった。

 「この街は僕のもの」

 イヤホンからは、くるりの「街」が流れていた。歌詞は夕暮れの情景を描き、僕には「愛する君」もいない。けれど、なぜかこの朝焼けとよくマッチしていると思った。外側の開封シールを一周させて、チャコールフィルターが並んだ箱から一本を取り出して、咥えながら火をつける。

 線路では列車が流れ、道沿いでは犬を散歩させる老人の姿。ゆっくりと煙を吸い込んで、肺に染み込ませる。それをまた徐々に吐き出してみると、以前とは違ってむせることもなく、やや透明ががった煙が口から出てきたことに驚いた。

 煙草は、うまくない。けれど、世界とうまくやることに長けてない人間もいる。やるせない気持ちで迎えるあまりにもきれいな朝焼け。そんな時に僕らはどうするべきか。

 どうしようもない怒りと降りしきる雨。反対に、自分に比べてあまりにも清潔な光景を見た時に、僕らは世界の片隅で煙草をふかす必要があるのだ。

 清らかな朝の空気。僕の吐く煙ではとても汚せない空気が、街を覆っている。この世界、この街の片隅で、僕はひっそりと僕になっていく。そんな考えが浮かんだのも束の間、ヤニクラで気持ちが悪くなった僕は、窓を閉めることも忘れてユニットバスのトイレに駆け込んだ。

煙草と「ゴキブリ」

 酒を飲む理由なんて、いくらあってもいい。陽気で流暢な日本語を話すアメリカ人、アニメのイベントのために来日した韓国人。そしてひょんなきっかけで酒を飲む約束をし、はしご酒をするためにゴールデン街に繰り出した日本人の僕たち。

 「もう何度か店は変わっているんですけどね、昔はここに三島由紀夫も来たことがあるらしくって。だから店のレイアウトは変えないようにしているんですって」

 かつて文化人や気取り屋、あるいはまだ何者でもない人が集う場所だったこの場所は、今や日本人にとっても外国人観光客にとっても人気スポットになっている。ある意味で、多様な人を呼び寄せる場所なことは変わらない。

 ゴールデン街、三島由紀夫。

 二つの言葉が組み合わせると、ふと思い出すクソジジイがいる。

*** 

 「自分が社会人になってからの文化的パトロン」「素性の真偽が分からない胡散臭い老人」「あるいは仕事になると必ずトラブルを持ち込むコピーライター」......。T氏を表現しようとすると、どうしても一側面になってしまう。ものすごく抽象化して、最大限の敬意を払いながら一言で表現すれば、クソジジイなのだ。現に前職の同僚たちは、T氏の一側面だけを見て敬遠するか、軽蔑する人しかいなかった。現に、T氏と仕事をするとろくなことが起きなかった。けれども、友人としてはとても好ましい人物だった。

 詳細は割愛するが、前職の入社直後にとある仕事でT氏と一緒に仕事をし、散々揉めた挙句に大失敗に終わった後から、結局仲良くってよく二人でヤキトン屋に繰り出すようになっていた。確かきっかけは、萩原朔太郎が好きと言ったことだったと思う。

 ホッピーセットを頼むと焼酎の瓶と氷が机に届けられ、自分で好きな量をそそげる某チェーン。T氏にグラスに並々と焼酎を注がれて、ほとんど色が変わるだけでアルコールの味しかしないホッピーを飲みながら、色々な話をした。文学のことやバブル時代にコピーライターとして活躍していた自慢話、早稲田大学でスケベ心で立ち上げようとして失敗した舞踏劇団のこと。(ここからは真偽のほどは定かじゃないないけれど)バツ5なことや事業に失敗して夜逃げしていること、女性映画監督との今昔......。T氏は破天荒でヘンテコで、面白いエピソードだけで広辞苑がつくれそうな人だった。

 たまに自分の仕事の話も聞いてくれて、茹ダコみたいな顔で叱咤激励もしてもらった。会社を辞める時も、真っ先に相談したのはT氏だった。T氏は紛うことなくクソジジイだったけれど、さすが生涯現役コピーライター。刺さる言葉を言ってくるのだ。詳細は酔っ払って忘れたけど。

 「まずはお前さんの橋頭堡をつくるんだな」

 この一言だけは覚えているし、今も自分の橋頭堡をつくっていきたいと思っている。T氏はもう70代半ばなのでもうタバコをやめていたが、自分が煙草を吸うのを楽しそうに見ていた。「おう、もっと突っ張れ、突っ張れ」と囃し立てるのだ。その時には僕はもうアラサーになっていて、煙草を吸うことも別に社会への反発心とかで吸っているものではなくて、もはやニコチン中毒だからという以外に吸う理由はない。生意気ではあったけれども。

***

 そんなT氏の経歴は、まさにゴールデン街で育まれていた。大学時代からゴールデン街に入り浸り、金もないのに飲み屋に入り、金を持ってそうな人物を見つけては酒を集る。その生態といつも黒ずくめの格好をしていることから、T氏のゴールデン街の愛称は「ゴキブリ」(略称:ゴキ)だったという。往年のコピーライターや、その当時足繁くゴールデン街に通っていた人はピンときてしまうかもしれないが、T氏をゴキと呼んでいた客や店員たちは、もはやこの世にはいない人の方が多いだろう。現に、酩酊してゴキをタコ殴りにした映画監督はすでに他界している。

 「喧嘩したり殴られることもあったけど、みんな寛容でいい時代だったよ。無茶苦茶やって、金も持ってないのに、店には入れてくれてママも『ゴキ、また来たの』ってさ」

 ずんぐりむっくりした顔を綻ばせながら、懐かしそうにホッピーを煽る。まだ日本に活気があり、明日への希望を見出していた時代の話だ。狭くて、油でベタベタする席、銀の灰皿と煙草の煙。こんな話をする時は、狭い席の方がいい。広い席ではそんな過去はより遠く感じてしまうから。

 そんなナイトライフを過ごしていたT氏は、ある日著名なコピーライターの目に留まった。「なんかおもしろそうだから」という理由で、T氏はゴキブリからコピーライターの卵へと転身したのだった。T氏はそのままコピーライターの登竜門の新人賞を受賞し、独立した。現在では作家になっている人と「ブービー賞争いをした」らしい。

 ゴールデン街から生まれた立志伝。とはいえないだろう。T氏のその後の栄華と転落は、どちらかといえば平家物語に近いのかもしれない。ただ、T氏にかかれば成功も失敗も面白いエピソードになってしまい。ヤキトン屋で劣悪なホッピーを飲むにはちょうどいい物語となるだった。

 「バブル期はすごかったんだぞ。何にも書いてない請求書とペン渡されてさ、『Tさん、ここに好きなだけ0を書いていいよ』とか言われちゃってさ」

 そんな時代もあったのかもしれない。ただ、T氏にとっての栄光の時代の話は、聞いていて悪酔いするようなものではなかった。それはおそらく、T氏が今も人生を生きているからだろう。思い出は思い出として完結していて、巧みな言語感覚によってユーモアたっぷりに加工されている。そしてT氏は現在貧乏な働く老人であったが、それはそれで楽しそうなのだ。尊敬はしないし、断じてそんな老人になりたいと思ったことはないが、好ましい。

 おそらく、T氏はそう遠くない未来にこの世からいなくなるだろう。そして、T氏の物語を、僕は語り継ぐようなこともしない。ゴールデン街にかつていたゴキブリの記憶は、完全に忘れ去られる。街は新陳代謝して行くのだ。今日のゴールデン街が多様な人々を受け入れているように、またさまざまな言語が飛び交うように、来る人もいれば去る人もいる。三島由紀夫のように足跡を偲ぶ人もいないし、それもまた建物の老朽化とともに寿命を迎えるだろう。

 そう、三島由紀夫の話をしていた時、T氏はとっておきの話をしてくれたのだった。かの有名な東大全共闘との討論、また三島事件が起きた当時、大学生だったT氏に話を聞いていた時だ。

 「三島由紀夫が自決した時はさあ、よく覚えてるんだよお」

 珍しくはにかみながらT氏は続ける。

 「あの時、俺は代々木公園で、女の子とデートしててさあ。道の途中で初めてその子とキスをしたんだよ。それでしばらくイチャイチャしてたんだけれども、道の方がやけに騒がしくなって、パトカーなんかのサイレンもうるさくて、なんかもう雰囲気が台無しになっちゃった。それで駅の方に戻ったら、号外を配っててさ。本当にびっくり仰天だったよ。だからさ、三島由紀夫が腹切ってる時、俺は女の子とキスしてたわけ」

 赤い顔が耳まで染まって、T氏はニカっと笑うのだった。

 

 

@taigaita
東京をうろついてる野良から会社所属のライター&コンテンツ制作になったやつのアカウントです。習作としてなんかしら書いていきたいと思います。