記念すべき第一弾が、いわゆる多感な時期の恥ずかしい話ですが、個人的にずっと好きな詩人・萩原朔太郎との出会いとその詩について紹介します。
だーれも手にとったことがない「未開の本棚」
昔々の、中学生の時です。当時、たまに図書館自習なるものがありました。その時は本を読むもよし、勉強するもよしな時間だったので、個人的にはとても好きでした。
その時の心情は覚えていませんが、僕は本棚をうろついていました。その中で、一際びっしりと本が詰まっていて、まるでこの状態が完璧、触れることを拒否さえしているような本棚がありました。
日本文学名作全集がまとめられた本棚です。各書籍の天にはそれは立派な埃を被り、そこだけが伝統的な建造物の一部のような荘厳さを醸し出しているのです。こじんまりとした図書館にあるちょっとした異空間に、僕はなにか惹かれるものを感じたのでしょう。
背表紙を物色するうちに目を引いたのが、「ちくま日本文学全集18 萩原朔太郎」(筑摩書房、1991年)でした。
当時、ドラマや映画になっていた小説「世界の中心で愛をさけぶ」のドラマの方が好きで、その主人公の名前が萩原朔太郎からあやかった「朔太郎」だったのが一番の理由。二番目は、手に取りやすい文庫サイズで、他の重厚な全集に比べて本棚から引き抜くハードルが低かったことがあります。
天に溜まった埃を叩いて、まず見たのは本文ではなくて、裏表紙をめくってすぐにある貸し出し記録でした。まさに積年の日々を本棚で過ごした書籍です。最後に読んだ先輩は果たしてどれほど昔の人なのだろうと気になりました。
現れたのは、真っ白の貸し出し記録。履歴なし。まさに新刊で納品されたその日から、一度もこの図書館の外に出ることはなかったのです。もしかすると、一度も手に取られることなく、ずっとぎゅうぎゅう詰めの本棚に押し込められて過ごしていたのかもしれません。
中学生からまったく関心を持たれない本。それはそれで興味がわくものです。なにせこの中学でこの本を開く中学生は自分が最初からもしれませんから。そういった興味本位で萩原朔太郎の詩集を開いたのでした。
中学生の自分にぶっ刺さった「月に吠える」の序文
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。
※本文では文字横に強調の「・」が付されているが、ここでは省略します(以下同)
たまたま開いたページ、最初に目に入った言葉に、中学2年生の僕は、まったくもってやられてしまったのでした。
この言葉は萩原朔太郎の詩ではなく、詩集『月に吠える』の序文からの引用です。同作の序文では詩の目的について焦点を当て、「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。」と主張し、人間が持つ個別性と共通項について紐解いています。
上記の言葉は、現象的な側面から見た人間の姿を表現しています。つまりは人間は個体としてはそれぞれ違っていて、常に単位としてしか存在し得ないということです。
しかし、萩原朔太郎は次のように続けています。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異なつて居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。
思えば、その時まで僕は詩についてあまりい良い印象を持っていませんでした。小学生の頃、詩作をするという国語の授業の時に、当時家に住み着いていた猫が車にひかれて死んでしまったことを詩にして発表したところ、同級生は笑い物にして、ひどく恥ずかしくて悲しかった記憶があるからです。
一人ひとりは違う。しかし、心の中には共通を見出すことができ、それこそが人間の、自然の「道徳」と「愛」が生まれるところだと説くこの一節が、思春期真っ盛りの僕の心に思いっきりぶっ刺さりました。そして思い返せば、上記の授業が終わったとき、優しく慰めてくれた友達も幾人かおりました。
そういった共感から生まれるものこそが「道徳」であり「愛」なのでしょう。もしも、初めて開いたのが序文でなければ、僕は閉じた心でいくつかの作品をひとなめして本棚に戻していたのかもしれません。しかし、幸いなことに僕はまず序文を読むことができた。
そしてそこから読み始めた作品の数々は、言語表現を凝縮しさらに磨きをかけたような、珠玉のような言葉に見えたのです。敏感な年頃なので、今よりもずっと感受性が豊かだったのでしょう。
なんのけなしに偶然開いたページから、萩原朔太郎という詩人を僕は好きになったのでした。ある意味、イントロでぶっ刺さってるので、作者の意図にまんまとハマったのかもしれませんね。
詩(あるいは詞)の味わいについて
当時の1時限が何分制であったかは忘れてしまいましたが、1時限の内のほんのわずかな時間の中で、僕は萩原朔太郎という詩人に魅了されてしまいました。とても不思議で私的な、得難い体験だったと思います。
いつも通りに友だちと「ミッケ!」をするのも、それはそれで良い体験だったことでしょう。しかし、僕はなぜか本棚を探ること選んでいた。多分そういったなんの気なしの選択の積み重ねが、こんな拗れた人間を形成しているのでしょう。
詩、あるいは歌詞をじっくりと味わえたことは、個人的に非常に大きな体験だったのではないかと思います。例えば、先述の「月に吠える」内の一作「さびしい人格の」の下記の一編。
ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、
山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲が流れてゐた。
詩人が綴る詩、アーティストが連ねる詞だってそうです。僕たちは表現と韻律とリズムにおいて、その詩や詞を求め、自らを没入させていくのではないでしょうか? 我々が大麻をしていなくとも、舐達磨の「BUDS MONTAGE」に共感を覚えるのは、具体を超えた表現にあるからだと僕は思っています。
14歳前後の歳というのは、ぼちぼち自分が天才でもなんでもないことを、うっすらと自覚し始める時期ではないかと思います。部活でも県の強化合宿に行けば、すでにアスリートな人間はゴロゴロいるし、勉強でも自分よりも遥かに賢い人が公立の中学校にもたくさんいて。もしかすると時期に差異はあるかもしれませんが、少なくとも他者の持つ自分よりも秀でた点が浮き彫りになってくる時期だと思います。
ただ、そのような気づきは何もしなければ思い浮かびもしなかったことで、体験として現れてくるものなのだろうと思います。自分が登っている小さな山の頂に立てば、より大きな山の姿が見えてくるだろうし、見上げると遥か遠くに空があり、真っ白な雲が往来している。
今、自分はライターなる大層な肩書きを自称し、日々文章を書いています。しかし、自分には書けないような文章は日々目の当たりにしていて、毎日のように挫折感を味わっています。それが正直なところで、この文章を書き進めながらも、自分の拙筆さが許せずに毎日手が止まってしまう。
今も、自分はどれほどの「虫けら」なのだろうと思いながら、文を書いています。自分が登る山はどれほど高いのだろうか。あるいは自分はどこまで登れるのだろうか。そして結局のところは、自分はどこか安住する場を見出すのだろうか。本当にフリーランスになってからは、二回目の思春期みたいなことばかり考えている気がします。
かくして自分は15年以上が過ぎた今でも萩原朔太郎のことが好きであり、気づけばちくま日本文学全集から岩波文庫に変わった『萩原朔太郎詩集』(三好達治選)を、酔っ払ったら深夜に、一人こっそりと読み返すのでした。
追伸:もっと若い時にこういう文章書いてれば、もっと解像度が高い文章が書けてたんじゃいないかなって思ってる。