「ありたい姿」と「求められる姿」は異なるという話し

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最近思うのが、人の「自分がありたい姿」と「周りから求められる姿」が必ずしも一致しないという事。

むしろ一致しない事のほうが大半。

じゃぁ、自分らしくあれば良いかというと、これもまた違うと思う。

たしかに、人の目を気にせず自分らしくあるのは、ある種憧れる姿だと思う。そして、そういう意見は賛同を得やすい。

しかし、この人間社会に生きる以上、自分が属しているコミュニティで求められる役割を果たし続けなければ、生きづらいのも事実。

職場、団地、家族、サークル、クラス、業界など、あらゆるコミュニティにおいて求められる役割や姿が必ずある。

その役割を完全に無視して「自分らしくいこう」は、周りからすると「自分勝手」に映る。これは集団生活を営む人間である以上、避けがたい事実だと思う。

だからこそ、自分が今属するコミュニティにおいて、何が求められているのかを正しく理解し、その役割を果たす必要がある。

これを理解すれば、ありたい姿像と求められる姿像が交差する「求められる姿で、なおかつ自分がありたい姿」を見つけられる。そこで活路をみいだせば、自分らしく、そして社会にも認められた形で生きられるのだろう。