いま「デザイン」に必要なのは価値を示すことではなく、ムーブメントを起こすためのリフレームではないか。

tajima_kaho
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「デザイン」は産業によって生み出され、その発展とともに進化してきた。

近代産業革命以降の急速な産業化の過程で、工業製品の大量生産が始まり、製品の外観や機能性が競争力を左右する要素となった。この時代には、デザインが商品価値や市場競争力を高める重要な要素であることが認識され、それによってデザインの役割が産業において明確化されていった背景がある。

そのように産業の発展とともに成長し、産業の一部として「デザイン」が不可欠な要素として位置付けられているからこそ、良くも悪くも産業への寄与を使命づけられ、経済や業界の他者による評価の意識が根本に根付いてしまっている、とも言える。デザインの価値を示す際には、産業で求められることが変化したことで、「〇〇デザイナー」の定義が生まれたりリフレームされる、という流れも多い。

しかし、近年の社会において、産業変化に乗り遅れる今までのやり方だけでは、デザインというものが衰退していくのではないか?

というのも、日本社会における成長に対する価値観は、従来の経済成長や物質的な豊かさだけではなく、ワークライフバランスや多様性、幸福追求といった、より多面的で総合的な視点に移りつつある。

デザイン自体が一律的な成長への寄与を追いかけていけば発展していく時代は終わったのではないか。

実際に社会の価値観と「デザイン」の価値観のズレが起きている。

例えば、デザイナーが上流工程に携わるときにプロダクトマネージャーなどの職能に変わることがある。やっていること自体はデザインの延長にも関わらず、「デザイナー」を名乗ることで矮小化されてしまうため、別の名が必要になってくる。

この価値観を変えるためには、従来のような、産業成長に貢献する「デザイン」の可能性や価値を主張するだけではもう行き詰まっているように感じる。

むしろ「デザイン」そのものが意志を持ち、社会そのものを自ら変化させるようなムーブメントやカルチャーを起こし、デザインを再定義していく必要があるのではないか?

そんな問いについて、考えてみたくなった。

@tajima_kaho
でざいなー