漫画のネームや絵のラフなどに使うセクションパッドを一冊使い切ったので新しいのを下ろした。分厚くてピカピカだ
『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』
厳しいことを言うけど『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』という本、文字組みとイラストのレイアウトがとにかく見づらくて読み難かった。ウェブサイトをそのままプリントアウトしたのを見てる感じです。内容も、これはただ自分向けじゃないだけなんだろうけども読むのが非常にしんどかったです。本を開いてバーンと無理解な質問が目に入るのはキツい……ドッとくる。俺の場合最悪希死念慮がくる。こんな世界で生きるのがしんどい思いが残った
しかしこんな感想、なんか申し訳ない気持ちになるな……
以下、2023年8月2日にSNSに投稿した文章を転載
俺は声優俳優の演技とか、歌とか、話とか絵とか、まあなんでも、「上手いひと」に対して苦手意識や警戒するところがあって、それは「上手い」ことでスルーされる何か(思想だったり政治性だったりそのひとの人間としての在り方だったり)があるからなんだよ。ということに今思い当たった。
木村昴を聴くと居心地が悪くて避けてるのがそうなんだけど、なんでだろうと考えたら「上手いから、惹き込まれてそのキャラクターを魅力的だと思ってしまわないか」という懸念なんだよなと思い至って。今「桜木花道」を演じてるわけじゃないですか。で、今私は原作の「桜木花道」を肯定できるかというといや、できないと思うんですよ。でも「THE FIRST SLAM DUNK」を観たらすっごく魅力的に見えるかもしれない。 そういう恐ろしさがある。「上手い」って「説得力がある」ってことだと思うから。
でも「上手い話」には「何かある」とおもうひとは自分を含めて多いかもしれないけど(そういうニュアンスはあるわけだし)、「上手い歌」「上手い演技」「上手い絵」とかに「何かある」「何か見過ごしてないか」と考えを巡らすことはあまりないのでは?という怖さが立ち上がってくる。 「上手さ」に浸るのは浸れれば快感だけど、いやまてよ、という何かしらの冷静さは要るな。
以上、転載終わり
もちろん、「上手」くてもちゃんと批判評論されるものはされてるわけで、自分が権威に弱いところがあるだけという話なんだけど……。あとなんか木村昴御免
『劇場版ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦』観てもやっぱり思ったけど、木村昴が上手くなり過ぎててちょっと怖い