僕のはじめてのZINE『特別になれなくても、(A6版・122頁)』は、僕が日々つけている日記『ことば日記』を、今回は「喜、怒、哀、楽」という四つの感情をテーマに編集しなおした日記本です。その中に収録されている一部をご紹介させていただきます。
<直近の出展予定>
下記のイベントにて販売予定です。
・2026年10月12日の「ZINEフェス文芸-詩歌と日記-(大阪市中央公会堂 3階 中集会室)」
・2026年11月8日の「文学フリマ東京43」(東京ビッグサイト(東京都)南1-4ホール)
<WEBストア>
WEBでも購入可です。遠方の方は、ぜひこちらをご利用ください
https://takashio-book.stores.jp/items/6a3fc217b4efa2bfc275bdea
はじめに



2025年7月19日



2025年8月27日



猫



ここからは書き下ろしのエッセイ『渇望』です。このエッセイを書いていたとき、本ZINEを作成している時期の中で一番来るしかったのを覚えています。でもそんな時だからこそ、自分が欲しているものが何か見えたのかもしれません。自分はなんでこんなに苦しいと思っているのか、いったいに何に飢えていているのか。そんな気持ちを持って書いていたエッセイです。
※WEBのフォーマットにあわせて、横書きにしていますが実際の本では縦書きで「はじめに」と同じ、一段組で記載しています。
『渇望』
僕はライターです。文章を書く仕事をしています。取材をして、人の話を聞いて、その人の言葉を整えて、その人の代わりに書く。誰かの想いを、誰かの会社の魅力を、誰かが伝えたいことを、僕が代わりに言葉にする。それなりに長くやってきたし、ありがたいことに、食べていけています。
そんな仕事をしているくせに、僕は〝自分の作品〟というものを、これまで一度もつくったことがない。
毎日noteを書いていた時期がある。でもあれは、作品というより、練習のようなものだった。駆け出しの頃には、有名ブロガーの記事を読んで、そのノウハウを鵜呑みにして、WordPressで有料テーマを買い、ブログを開設した。世の中に有益な発信をするために何ができるか。よし、リモートワークで自分が役に立ったことをブログにしよう。名前は「リモワク」だ——なんて、張り切っていた。でもあれも、自分でつくったものだけれど、自分の作品と呼べるものではなかった。書かなきゃいけないと思って、〝書かされていた〟ものだった。
心のどこかで、ずっと自分の作品をつくりたいと思っていた。でも、自分の言葉を〝作品〟として世に出すのはこわかった。
誰かが「良い文章とは」「面白い記事とは」と語っていたり、「あのエッセイ、すごくよかった」なんて話を耳にしたりすると、心がざわつく。そういう日はきまって、日記にこんなことを書いていた。
「誰かに読んでもらうために整えた文章は、整えるほどに、どこか面白くなくなっていく気がする」
「きれいに通る道路みたいになる。役には立つ。役に立つけれど、僕がいちばん好きな文章は、そういうものじゃない」
極めつけは、
「エッセイなんて、自分には書けない。というか、最近エッセイを書く人が増えたけれど、あれは本当にエッセイと呼べるのか。エッセイ(随筆)は、れっきとした文学だ。その難しさを思えば、そう簡単に『エッセイを書きました』なんて言えないはずだ」
自分が書かないこと、書けないことに、それらしい理由を必死でつくろうとしていた。
そんな僕が、ようやく見つけた居場所が日記だった。誰のためでもない、吐き出したい言葉を毎日少しずつ残していく。日記なら、書きたいものを書きたいように書ける。このフォーマットでなら僕は書くことを許される。誰にも、何も言われない。ずっと言えずにいた思いや、形にできなかった物語もここでなら書ける気がした。
そして四〇歳になった節目に、その日記をためていつか一冊の本をつくろう、と決めた。ずっと諦めきれなかった思いと、本ではなくZINEという形式があることを知ったから。
日記を書き続け、ある程度たまったら創るぞ、と決めていた。四〇になった二〇二五年中に出せるといいな。でも結局ズルズルきて、気づけば一年が経っていた。出すといっておきながら、一人だったら永遠に出さなかったかもしれない。でも、出そうと背中を押してくれた人がいたから、僕はいま、こうしてはじめての〝自分の文章〟と向き合っている。
で、いざつくりはじめて、思い知る。創作活動って、なんて苦しいんだろうって。少しは予想していた。でも、びっくりするくらいしんどかった。というか悩んだ。
自分を苦しめたのは、やっぱり嫉妬だった。
いいものをつくりたいと思うから、自分の頭だけで考えずに他人のZINEを買って読んだり、SNSをのぞいたりする。でも、そうするたびに、「なんであんなに素敵なエッセイを書くんだろう」と打ちのめされた。言葉の選び方も、間の取り方も、ぜんぶうらやましい。さらに、その人たちのつくる姿勢や届けようとする気持ちもすごい。ちゃんと自分の作品に向き合っているのが、伝わってきた。
ああいう人たちは、きっと「下手だ」とか「なんか好きになれない」みたいなことを言われたら、「どこがダメですか、教えてください」と食らいついたり、「あそこはこうすればよかった」と素直に悔しがったりするんだろう。憧れの書き手の文章を写経して、自分の作品を何度も何度も読み返すんだろう。
僕は、それができない。
仕事の文章なら、できる。取材した相手が喜んでくれるように、その人の言葉をちゃんとまとめよう、と思えるから。でも、自分の作品となると、話は別。全力であがけばあがくほど、否定されたときのショックは大きくなる。それがこわくて、はじめから本気を出さずにいた。出そうとしなかった。
昔、あるコミュニティに入っていて、そこでエッセイのコンテストのような企画があった。運営にはプロの編集者がいて、応募作にフィードバックをくれる。参加者はライターのような書き仕事の人ばかりではなく、ただ文学が好き、本が好き、書くのが好き、という人たち。
それに一度だけ、軽い気持ちで応募してみた。テーマも、何を書いたかも、もう一ミリも覚えていない。覚えているのは、返ってきたフィードバックだけ。
「こんな文章を書く人が、ライターをしているなんて終わっている」
一語一句こうではないけれど、そう言われたに等しいボロカスなフィードバック。これはもうフィードバックではなく、死刑宣告では——と思った。
〝僕はライターです。取材をして、人の話を聞いて、その人の代わりに書くことを生業としています。それなりに長くやってきて、なんだかんだ、会社も四期目になりました〟
その死刑宣告をバネに、奮起したんですね。と思われたかもしれない。まったく違う。
そのドキュメントは一度だけ読んで、一生封印した。当時使っていたGoogleアカウントも、これはまた別の理由で、だけれど、まるごと消した。おかげで、あの文章はこの世から完全に消え去った。つまり、フィードバックはガン無視。とりあえず、ライターの仕事からは逃げずに、今日も精一杯、会社のため、人のために、記事と向き合ってはいる。
でも、あの時の死刑宣告に向き合わなかったから。ずっと逃げ続けてきたから。自分がゼロから書いたものは、いつ見ても、みすぼらしく感じてしまう。人から嬉しい感想をいただいても、「本当かな」と疑い、厳しい声をもらったら「やっぱり、やめたほうがいいんだ」と塞ぎ込んだり。
嫌なことがあると、そこからそっと離れる。書くことだけじゃない。仕事でも、人間関係でも、趣味でも。うらやましいと感じる前に、見えないところへ逃げる。それが、自分を守るための、たったひとつの手段だったから。
でも、もう作品をつくると決めたから、逃げられない。だからもう、今回は覚悟を決めた。
というか、そもそも僕には文芸の資質なんてものはないし、エッセイやコラムなんてものを書くような人間ではないのかもしれない。ただ本や文章が好きな人。
人を驚かせるような意外性のある経験はしていないし、これだけは表現したい! 社会に物申したい! という情熱があるわけでもない。誰よりも村人Aだと思っている。いや、村人AもBもごまんといるから、村人Tくらいでちょうどいい。そんな人間に、誰が期待する?
覚悟を決めると、吹っ切れた。そして、生まれてはじめて本気で自分の創作と向き合ってみたら、「苦しい」の先にある「楽しい」に手が届いた。
一年分の日記を、ぜんぶ読み返す。「こんなこと考えてたのか」とニヤついたり、「これはキツイから、載せられない」と省いたり、「この日のこれは、なにがなんでも残したい」と自分の文章に興奮したり。言葉を一個ずつ手に取って、並べ替えて、削って、また戻して。気づいたら、深夜だった。
人の書くものに意識を向けると、嫉妬とかで胃を痛めていたくせに、パソコンの画面に向かって自分の言葉をいじっているあいだは、そんなことぜんぶ忘れていた。「自分はただ書きたいことを書きたいんだ」って思えた。
誰かのためでもない。立派な理由があるわけでもない。社会に物申したいわけでも、誰かを救いたいわけでもない。ただ、書きたい。書いて、残したい。あわよくば、読んでほしい。
口では「うまく書けない」「資質がない」なんて言いながら、心の奥では、もっとうまく書きたいと思っている。次はもっといいものをつくりたいと思っている。たぶん僕は、この一冊を出したら、すぐに次の一冊のことを考えはじめる。読んだ誰かに「よかった」と言われたら、きっと、もっと言われたくなる。
こわくて逃げてきたくせに、本当は、誰よりも書きたかった。書きたくて、書きたくてたまらないのに、それを認めるのがこわくて、ずっと「書けない」フリをしていただけ。
結局、書くのは面白い。どうしようもなく。
伝わるか、伝わらないか。そのたった一点だけで、僕はいくらでも前のめりになれる。ちょっと回りくどい言い回しの奥から、「結局この人は何が言いたいんだ。あ、もしかして、こういうことか」とか、読んだ人が勝手に想像してくれたとしたら。その瞬間を妄想して思い浮かべるだけで、全てがうまくいくような気になってしまう。
文章って、面白い。書くって、面白い。つくっていくうちに、ますますそう思った。
実際に手にとっていただいた方のご感想

各イベント、WEBストアにて販売しております。
<今後の出展予定>
9/13(日)#文学フリマ大阪14
10/12(月祝)#ZINEフェス文芸(大阪)
11/8(日)#文学フリマ東京43 ※新作出品予定
<WEBストアでのご注文はこちら>
1,000円+送料250円。ねこしおり付きです