自宅のトイレットペーパーに文字が浮かぶようになった。
内容はどうやら恋文らしい。
「貴女が好きです」「僕のことを貴女はしらないでしょうが、僕は貴女をおもっています」「花を見ても月を見ても貴女をおもいだします」などという文章がトイレットペーパーに綴られる。
おそらく、トイレットペーパーに念写ができる能力者の仕業だろう。
一般には超能力などというと何かすごいものだと思われているが、実際にはこの程度だ。
パイナップルジュースをコップ一杯分だけ移動させられる念力、「かゆい」という思いにかぎり周囲に伝えられるテレパス、10m以内10分後のみの天気が分かる予知能力。
そういう物の役に立たない能力がほとんどで、トイレットペーパーに自分の伝えたい文章を自由に念写できる能力は比較的上位に入る。
それ以外、能力者であることを別にして犯人に関して分かることといえば、コイツがたぶんかなりの間抜けだということだ。
何しろ、恋文を送る相手をまちがえている。
「貴女」と書いてる以上、相手は女のはずだが、俺は身長百八十センチ超え、鍛えてるがゆえにガタイも平均以上、どこをどうとっても女と勘違いされることのない三十男だ。
隣に二十代後半の憂いを帯びた美人が住んでるから、そこと部屋を間違えて念写を送ってきたのだろう。
ラブレターをおっさんのケツを拭く紙にするのは多少不憫だが、トイレットペーパー片手に「おたくにラブレターですよ」と隣人を訪ねたら俺の方が不審者扱いされる。
放っておくことにした。
だがそれから一ヶ月以上経ってもラブレターは送られてくる。
頻度も増して、以前は一週間おきだったのが、最近では二日に一回だ。
だんだん鬱陶しくなってきた俺は強硬手段に出ることにした。
ヤツが念写をするために俺の部屋が見える路上に立っていたところを待ち伏せし、声をかけたのだ。
「人の家のトイレットペーパーに念写送ってたのはお前か?」
「え……ひ、人違いですっ」
そう言って踵を返し、逃げ出そうとした背中に、
「お前、宛先間違ってるぞ。お前のラブレターは全部、俺のケツを拭く紙になった」
そう言うと、ヤツは慌てて振り返った。
「え……っ」
まだ若い男だ。二十歳を越えているとしても、ひとつかふたつだろう。
天然パーマなのか癖のある髪は長く野放図に広がり、おしゃれで伸ばしているとも思えない。襟や袖口の緩んだスウェットと膝の抜けたボトムを着ていて、どうにも野暮ったい。
身長はあまり変わらないが、体格は俺の方がいいだろう。殴りかかってこられたら面倒だなと思っていたが、これなら対処できそうだ。
「お前が念写を送ってたのは、四階の右から三つ目の部屋だろ」
そう言って、灯りをつけたままにしていた自分の部屋を指すと、若者はこくこくと幾度も頷く。
「あそこは俺の部屋だ。一人暮らしで他に誰も住んでない」
「え? で、でも、彼女があの部屋のベランダに出てきてるのを見ました……」
「隣に若い女が住んでる。部屋を間違えたんだろ」
「え、ええ……。じゃあ、僕が送った手紙は」
「俺が使った。ケツ拭くために」
「ひどい……」
「ひどいわけあるか、もともとトイペはケツ拭くためのもんだ」
しょんぼりと背中を丸める青年を見ていると、子どもをしかっている気分になる。
俺はため息をひとつ吐いて続けた。
「だいたい、見知らぬ相手からトイレで一方的にラブレターを送りつけられて気持ち悪く思わない女はいないぞ」
「え、そうなんですか?」
「当たり前だ。トイレなんて究極のプライベート空間に、他人が介入してきて気分いいわけないだろ」
「そ、そうなんですか……? 僕、超能力くらいしか取り柄がないんで……自分の長所をアピールしようかなって思って、これなら怖がられないかなと思って、やってみたんですけど……」
「あいにく、マイナスしかないな。まちがいなく怖がられる」
「……」
今にも泣きだしそうな顔を見ていると仏心が湧いてくる。
「お前、まだ若いし身長はあるんだから、女は正攻法で口説け。まずは見た目をどうにかしろ。そのぼさぼさ髪を切れ。ほらこれ、俺の知り合いの美容師。腕はいいし親切だから」
そう言って、美容師の連絡先を教える。
「あと、俺の部屋の隣に住んでる女はやめとけ。あれは大病院の院長の愛人だし、院長は女に鞭で打たれるのが好きなマゾで、女はじいさんを鞭で打ちながら恍惚としてるサドだ」
「え……」
呆然としているヤツを残して、俺は部屋に戻った。
一週間後、「髪切りました。美容師さんに『とてもかっこいい』とほめてもらえて少し自信がつきました。彼女のことはあきらめます。ご親切ありがとうございました」とトイレットペーパーに字が浮かんだ。
これでやっと縁が切れたと思ったせいか、その晩はぐっすりと眠れた。
翌朝、出勤するとすぐ課長に呼ばれた。
なにごとかと思っていると、新人を紹介するという。
「この子、訓練校から新しくきたの。すごいよねー! 瞬間移動能力だって」
言いながら、高度超能力者向けの訓練校からの報告書を差し出してくる。
「君の透視能力と相性がいいと思うんだよね。能力が高過ぎて子どもの頃から訓練校育ちなせいでちょっと世間知らずだけど、そこも含めて教育してあげてね。コンビ組んでもらうからよろしくね!」
課長にぽんぽんと肩を叩かれている新人の顔を、悪夢の中にいるような気分で見る。
あのトイレットペーパー念写男がそこにいた。なんだか瞳がキラキラしている。
「素直ないい子だよ。イケメンだし! ほら、ふたりでイケメンコンビ!」
課長はなんだか楽しげにくっちゃべってる。
ああ、そういえば、「超能力くらいしか取り柄がない」って言ってたな。あのときはトイレットペーパーに念写するくらいで大袈裟なと思ったが、なるほど、瞬間移動はたいした能力だ。そして女の部屋に瞬間移動せず、トイレットペーパーでラブレターを送ろうと思ったのはまだしも「怖がられない」選択だ。
そして高度な超能力を持つ人間の就職先はそんなに多くない。持て余されるからだ。ほとんどは自衛隊、警察、もしくは厚生労働省特殊能力局、つまりうちに就職する。
「ああ、はい……」
なんとか返答を絞り出す俺とは対照的に、トイレットペーパー念写男は張り切った様子で言った。
「先輩、よろしくお願いします!」
その晩、我が家のトイレットペーパーには、「こんなところで再会できるなんておもってもみませんでした」「先輩と一緒に働けるなんて幸せです」「花を見ても月を見ても先輩をおもいだして幸福な気分になれます」、長文の喜びの言葉が綴られていた。
俺はクソしてふて寝した。