dpのアルバイトに落ちた。4ヶ月、インターンとして定時制高校のスタッフとして関わり、職場の人たちとも馴染み、それなりにdpの掲げる姿勢を自分なりに体現できたと思っていた。もしかしたら自分が応募するよりもずっと早くアルバイトが決まっていたのかもしれないし、さとみさんが選ばれるのかもしれない。こればっかりは考えても仕方ないけれど、どういう人だったら採用されていたのかがとても気になる。お見送りメールには「今回の求人とはマッチしなかった」と書かれていた。それならどこが具体的にマッチしなかったのかを教えてほしい。このメールが他の人に送るはずのものだった、実は間違いだったと思いたかったが、きっとそうではないのだろう。今すでにユースセンターで働けている人たちと、僕の差はなんだったのだろう。dpはとても居心地が良い場所で、尊敬できる人たちばかりで、初めてこの職場で長く働いてみたいと思える会社(というか団体)だった。ちゃんと失恋という経験をしたことがないが、それに近い感覚なのかもしれない。胸にズドンと大きな穴が空いたような、そんな感覚。お見送りメールには、一応理由を教えてくださいと返しておいたが、きっと教えてはもらえないのだろう。僕は就活をしてこなかったのでわからなかったが、こうやって何社と企業を受け、何通ものお祈りメールを見て追い込まれていく若い子たちがたくさんいるんだろうなと想像した。これは自殺する人が出てきてもおかしくないし、人間性を否定されたような感覚になるのも無理はない。そうしてありもしない「勝ち組」「負け組」という幻想を植え付けられて、でっかい会社のムラの中でこれが世の中なんだ、と錯覚するんだろうな。
そんなことを悶々と考えて仕事していたら、すっごく死にたくなって「あ〜死にたいなあ」とつぶやいたら、目の前にいたてんくんがカラオケに誘ってくれた。ちょうど大声を出したかったので嬉しかった。いつも歌う曲はもちろん、思いっきりストレス発散できそうな、ホルモンの「爪爪爪」をチョイス。出もしないデスボイスをなりきりシャウト。金切声で歌う「日々淫靡気味 歪に GO TO カオス」の歌詞が本当に気持ちいい。話は聞いてくれる友人ももちろんありがたいが、こうやって励ますために外に連れ出してくれる友人が近くにいるというのも本当にありがたい。落ち込んでたらすぐに連れ出せばいいかどうかは、タイミングとかその人の性質によるかもしれないけれど、身近な人が死んでいたら美味しいご飯を食べたり、何もせずゆっくり一緒に時間を過ごしてあげるなどしたい。あんまりいないけどね、周りにわかりやすく落ち込んでいる人。みんなどうやって生きてるのかな、ほんと不思議。
そういえば明日はメイドカフェに行ってくる。ユースセンターで今後働くかもしれないからと、現場視察の意味も込めて日本橋を選んだが、それが無駄になってしまった。まあ全てが無駄になるわけではないが、グリ下にいる子たちと会話できるようにと思っていただけに、なんとも複雑な気持ちではある。まりなとひなちゃんにも慰めてもらおう。
あ、怒涛すぎて忘れかけていたけど東京にも行ったんだった。久しぶりに翼さんにご飯に行こうと声をかけてもらったので、最初はもしかしてマルチの勧誘か…?と疑ってしまったけど、いざ蓋を開いてみるとただの楽しいおしゃべり会だった。相変わらず、アイセックの先輩たちは自分にとってお兄ちゃんみたいな存在で、気を使わず甘えられる年上男性という感じ。途中宮下パークで、翼さんの恋愛相談を受けていたので、かなり聞き手に回っていたような気もするが、それもそれで楽しかったし、久しぶりに元気な姿を見れてよかった。不器用だけど、頑張ってるんだなあ。結婚式は想像以上によかった。なんだかんだ好きでいじってくれる中学の友達たちの存在にも安心したし、中学校の頃はぽけ〜っとしていたきっしーが締めの挨拶で大人の顔をしていて思わず涙が出そうになった。みんな成長してるんだなあ。残る4人で誰か一番最後に結婚するか、という話で僕になったが、それはなんとなく自分でも納得してしまった。結婚もしてみたいし、子育てもしてみたいが、なんやかんやのらりくらりと世の中を渡り歩く姿が想像できてしまうのが気持ち悪い。とはいえ、みほのことは大事にしたいし、ちゃんと同棲や結婚のことも視野に入れながら今後の生活を送りたいので適度に気を引き締められるようにする。
帰りの新幹線の中で、ようやく「前科者」をみた。内容はまずまず、とにかく森田剛の演技がすごいって感じの映画だった。有村架純も全然かわいいオーラは封印されていて、真面目でどこにでもいる地味な眼鏡っ子になっていたのはさすがとしか言いようがない。そこで一つ印象に残っているのが、前科者で有村架純演じる主人公の友人でもある女の子がいった「弱いから安心するんだ」という言葉。犯罪だったり、周りからみて自分は異質だと感じてしまった時、どうしても周囲の人間が偉く見えてしまって、もう社会には馴染めないと壁を作ってしまい、どこにも安心できる居場所がなくなってしまいそうになるけれど、そんな時に「自分と同じくらい弱い」側面を持った人がいるということは誰かの支えになるのかもしれない。それは社会的地位が低いとかそういう意味ではなく、人間のダメなところを取り繕わずに素直に表現している人のことを言うのだろう。これから自分がどんな仕事をしていくか、まだはっきりとはしてないけれど、少なくとも自分のダメな部分は武器になるし、それを大切にしながら生きていたい。てんくんが躊躇なく自分の弱さを周りに見せているからこそ、周りの人も魅力を感じて集まってきているのかなあ。彼は不思議な魅力があると思う。これはある意味「人のことを下にみる」ことと「対等に接すること」のあわいであり、共存なのかもしれない。人の関係性は多様で面白い。いろんな形があって人生が成立していてほしいな。