アルバイトに落ちてから、未練たらたらで連日引きずっている。いろんな人に報告しても「どんまい!」「縁がなかっただけだよ!」と言われるが、こちらの想い入れはかなり強かっただけに、そういう言葉をかけられると余計に引きずってしまう。
今日精神科の先生に「バイトに落ちました」と話をすると「それはショックやねえ」と言ってくれた。正直、たまにイラッとすることを言う先生ではあるけれど、こちらの感情と事実を伝えると、ちゃんとそれに応えてくれるのは素直に嬉しいし、安心する。やっぱり人にかける言葉として正しいのは、まずその人の感情に寄り添ったものなのではないか、と思う。常に前向きに、切り替えて、そんな簡単にいけばもっと楽に生きられている。落ち込む長さや深さは人によって違うからこそ、落ち込むという行為そのものに寄り添ってあげられる人間になりたい。
あとやっぱりモヤモヤするのは、友人が同じバイトを受けているということ。なんとなくだけど、おそらく通過しているだろう。そういうのを見ると、いくら先方から「あなたに課題があるのではなく、職場環境的に中西さんに気持ちよく働いてもらえないと思った」と言われても、自分の方が劣っているのではないかと思ってしまう。以前ほどではないが、周りからも「あの人は優秀で、この人はそうではない」というレッテルを貼られているような気がしてならない。ああ、うらやましくて、ずるい。なぜ4ヶ月も先にいた僕ではなく、彼女が選ばれるのだろうか。とはいえ、いくら悩んでもこの先に何も待っていないということは知っている。当分モヤモヤするんだろうな、少ししんどい。
あと精神科の先生から「そのNPOで正社員になるのは辞めた方がいいと僕は思う」と言われた。NPOに対してかなり偏った見方があるな、とは思いつつ、でもなんとなく言わんとしてることもわかるような気がした。緊急時以外の寄付が根付いていないこの国で、財政基盤を安定させるということは相当難しい。実際、定時制高校における居場所事業は予算の都合から撤退している。次、いつユースセンターがそうなるかはわからない。最近実家の経営を手伝ったり、自分でよりリアルにお金を稼ぐことを考えたりする中で、いかに収益を安定させることが難しいか、ということを痛感させられる。正直、正社員になると言ってもデザイナーとしての業務は並行しようと思っていたし、いつ潰れても問題ないようにリスクヘッジは取るつもりだった。アメリカをはじめとする、海外のNPO事情はどうなっているのだろう。そしてそこでは、どの程度大きなインパクトを出せているのだろう。誰かのセーフティネットを作り続けても、それが持続しなければ意味がない。日本の福祉、海外の事例、いろんなことを勉強したい。