書体公開前夜 : ケルンがフォントを作る理由、手売りをすること、AI 時代のデザイン事務所

takaya
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先日、「kern typefaces」という書体制作と販売を行うプロジェクトのお知らせを弊所ブログに投稿したのですが、これについて事務所のエントリに書くのは少々憚られる、私的な感情を書き残したいと思います。

5年、同じことをやると決めた。

独立したとき、最低でも5年はアイデンティティ・デザイン、特にロゴを作ることに集中すると決めていました。これは企業とは継続することが前提にあり、その顔を形づくる人間の言うこと・やることが毎年ころころと変わるのはどうなんだろう?(信頼できなくない?)という考えがあったからです。

「5年すらやり通せないなら、デザインの才能か訴求の仕方の問題だから潔く辞めよう」と思いながら、コロナ禍のような厄災もありつつ、パートナー(クライアント)の方々のサポートを受けて、ここまで続けることができました。

そして、自分の中での約束の期間を過ぎた昨年からは、「次に何をすべきか?」をずっと悩んできました。次の手を考えるにあたって、(1) できることを広げる (2) 見せ方を広げる の2つの方向がありますが、とはいえ選択肢は無限にあるので「何を禁じ手にするか」から絞り込んでいきました。

(1) できることを広げる : 文脈の大切さ。

これは分かりやすく、たとえば Web デザインや UI デザインのように、担当するデザインの領域を増やすことです。実際、これらの制作はアイデンティティ・デザインの刷新やリブランドに際して並行されることも多く、手数を増やす親和性はとても高いと感じています。

しかし、これらは創業時に「勝ち目がない」と判断して絶った道です。当時、Web デザインの世界はフルスクラッチならデザインと実装の統合力が年々増しており、「今さら追いつけないなあ。。。」と半ば諦めの気持ちで眺めていました。同時に、STUDIO に代表されるノーコードツールも台頭していて、アイデンティティ設計と同時に2つの領域を見定め、深めるだけの余裕が自分にはありませんでした(これは振り返って反省、最近は STUDIO / Framer の勉強を再開しました)。

UI も同様、またたく速度で体系化が進み、二足のわらじで取り組んだとて良いものは提供できません。自分たちが作るものを絞って深め、その他の領域はそれぞれの持ち場で強いクリエイターと組むことでクライアントへの価値を最大化できないか。――この思いは今でも変わらず、親和性は高いが/連続性が低いものには手を出さないと決めました。

(2) 見せ方を広げる :「ブランディング」と言わない。

これはロゴ→ブランディング、UI→UXのように、その領域の概念を抽象化・拡張することで、より幅広いクライアントやプロジェクトに合致させるという、マーケティング上の切り口の話です。弊所は最終的なアウトプットとしてはロゴと付随するグラフィックが多いのですが、既存の “ロゴデザイン” とは作り方が異なることから「アイデンティティ・デザイン」と呼称することで恣意的に抽象化している側面があります。

ですが、僕が特に避けてきたのが自身の提供価値を「ブランディング」と銘打つ行為です。これは事業を抽象化して訴求するにはうってつけの言葉ですし、事実としてその一端を担っています。それでも、デザイナ観点の「ブランディング」と事業者にとってのそれには大きな乖離があります。

事業者にとってのブランディングとは、日々の事業活動 ――調査、開発、生産、販売、販促、リレーション、採用といった、連続性のある取り組みによって形づくられるものだと考えています。数年間、Mr. CHEESECAKE というプロジェクトで併走していたころ、いかにデザインという行為が局所的であるかを学びました。「企業の思想を意匠に変える。」(弊所の社是)を掲げるからには、甘い解像度で彼らに向き合うべきではない、というのが僕の答えです。

その上で、近年は(狭義の)デザインではなく、実際に隣接するプロセスに守備範囲を広げる潮流が現れています。たとえば製品開発やコミュニケーションに係る戦略から入るというものです。

しかし、これにも「自分で事業をやった経験がないのに、どの立場で物が言えるんだろう?」という思いが付きまといます。他方、これまでデザインという枠を超えた段階から、ブランドやデザインに関する知見を取り入れることで、目標が加速するという例は社内外で見られます。

――枠を超えることに対して、もっと確信を持って挑むには「次に何をすべきか?」。この問いかけが始まったのが今年の春でした。

歪みなくありつづけるための一歩として

「その結果が書体を作ることなの?」と思われそうですし、正直なところ自分でもそう感じる面はあります。(デザイナが書体制作するのは珍しいことではないので)

ですが、「やれることを広げる」に照らし合わせると、この8年の間、僕はコンセプトを考え、パスを引き、曲げ、消してはまた引く作業をひたすら繰り返してきました。これによって頭の中で描いているものを造作で落とし込む精度は着実に向上していて、その過程で作ってきた数文字のロゴタイプを数十文字の書体に拡張するというのは、最も連続性がある行為だと感じています。

次に「見せ方を広げる」ことについて、本当の意味で越境する覚悟を得るためには開発から販売までのサイクルを、僕たちも身を以て経験するべきだと考えるに至りました。少しは恥じるべきかもしれませんが、クライアントに対して我々は決して安くない制作費を求めながら、そのお金がどのように生み出されているかは想像上に過ぎないのです。

kern typefaces の概要は弊所ブログで書いたとおり、とても労働集約的です。アイデンティティ・デザインにおけるプロセスは、企業や事業の責任者と対話すること、その想いを視覚的に表現するコンセプト策定、コンセプトと意匠の間に歪みを生まないためのアートディレクションなど、すでに無形の価値が多く存在します。これに対して書体制作は単純に制作点数が多く、デバッグやフィードバックの反映にも物理的な時間と労力を要します。

しかし、この一見すると「上流工程に行く」ことと真逆の過程を経なければ、自社で商品を持ち、改良し、売って、届けるという日々の営みを体験できません。そもそも上流工程に行くことだけが目的なら事業会社で働けば良いわけで、僕は「デザイン事務所であること」に軸足を置きながら、改めてその価値を掘り下げていきたいのです。

...ここまで下書きなしで書いてみて、今はとても言えない「ブランディング」というラベルを、自分もいつかは正々堂々と掲げられるようになりたいのかも?と思いました。デザインという明確に責任を持てる立場として。いつになるか分かりませんが、そのための一歩を着実に踏みしめます。

手売りをすること

先日、いつも仲良くしているメンバーとの Podcast で、これからは手売りできるかが大事になるんじゃないかという話をしました。

もし、AI 生成によるクリエーションを是として受け入れる時代が到来すると、マシンパワーでぶん殴れる大手が強い組織として残り、そうではない実制作以外の機能を持つ中規模な組織は分解され、個々のクリエイターに二極化していく世界観になるのでは?という妄想を巡らせています。

実際にはそれほど極端な世界になるとは思っていませんが、これに当てはめるとケルンは独立した小さな存在側でしょう。零細事務所としての生存戦略を考えたとき、より多くのお客さんと直接対面して価値を提供することに売り手も買い手も喜びを感じる、プリミティブな世界に回帰する可能性を念頭に置いています。

同時に、労働集約的な作業を AI が担ってくれることも期待しています。すると逆説的にそうした作業にどっぷりと浸かって磨ける時間は今しかなく、その間に手ざわりがあるもの作る感覚を身に付けておきたいというのは、1人のクリエイターとしても意識していることです。僕にとって書体を作って売るという行為は、そうした手売りの時代に向けた仮想的な準備という側面があります。

この点は大きなチームを持つことに対してモチベーションを感じない自分に合わせて、時代性を肯定的に解釈したポジショントークが過ぎることは否めません。

ですが、創業時に抱いていた「デザインを好きでいつづけたまま仕事にする」ことだけには意気地でいようと思います。そのために必要なのはデザイン、顧客、世の中に対して誠実でありつづけること。その条件下であらゆる打つ手を試行していくつもりです。

いつまでケルンがケルンとして続くかは僕にも分かりません。けれど正直さには常に意義があり、その心は後の世代にも伝播すると信じているからです。


最後に宣伝です!こうした思索のもと立ち上げられた kern typefaces から、まもなく第一号の書体がリリースされます。これはあなたのクリエーションを手助けする道具であると同時に、私たちの将来的な活動の種でもあります。

ぜひみなさまにも購入やプロジェクトの拡散協力等のサポートをお願いしたいです。最新情報は kern の X アカウントでお知らせするので、フォローしていただけると嬉しいです。

ここまでお読みくださりありがとうございました。

@takaya
デザインと K-POP がすきです。