抵抗感を捨てたい

take9
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公開:2023/12/15

Xもやっている。Tumblrもやっている。はてなブログもやっている。

でも、どうもその手の場所だと「あまり語らないのがカッコいい」みたいな意識が働いてしまって、きちんとした文章で何かを残すということに腰が退けてしまっている。

オシャレなのは苦手だ、嫌いだ…いわゆる下北沢みたいな界隈の小劇場で「アート」や「サブカル」を追っている人々に背を向けて生きてきた。

だからなのか、いざネットの海に趣味の写真を放流する時も、アーティスティックな方向に振った程度のいいキャプションや文章を添えることに変な抵抗を感じてしまう。

では、俺の中でイケてると思うパターンはなんなのか? ふたつある。

ひとつは、使ったカメラとレンズ、フィルムカメラなら使ったフィルムの種類だけを書いて、あとは写真のパワーだけで見る人を魅了するというパターン。

もうひとつも似たようなもので、構図やら縦横のバランスやらも考えずに淡々と記録したものを上げ続けるというパターン。

いずれのパターンも過度な装飾はなく、ネットに毒された消費用の構文もなく、かつ上から目線の説教めいた言葉もない。だけど、写真はとても良いもの(のはず)なので、本質を見てくれるわかっている皆様が「いいね」をいっぱいついて伸びる。これだ! なんてカッコいいんだ!

俺は凡百のバズり屋どもや、バエ至上主義者とは違うのだ。シャッター切れば誰でも撮れる物に対していちいちアートぶってご高説を垂れる奴らとも違うのだ。本質を見ているのだ。そういうのが、カッコいいのだ。

……。

発想が何から何までカッコ悪すぎて、痛々しいにも程がある。

要するに、こじらせた逆張り精神に加えて、ルサンチマンとコンプレックスがミルフィーユ状に折り重なって生まれた歪んだ承認欲求が排出された先のカスが、この抵抗感の正体であるということには、もうとっくの昔に気付いている。

…捨てたい。

これを捨てたい。

だいたい、もうとっくに40も越えて…いや、アラフォーとも呼べない年齢になった人間が今更ゲロすることか? この内容が? 子供三人もいて?

どう考えてもみっともないことこの上ない。

もっとこう…素直になっても良いのではないか?

少年の心を取り戻して…とかじゃなくて、むしろおじさんらしく、素直に。

綺麗なものは綺麗だったと書く。照れない。

オシャレな持ち物を手に入れたら、とてもオシャレで気分が上がったということを認める。不快にさせないレベルで「正しく自慢する」。

そういう場所を持ってもいいのじゃないか?

なんてことを考えたので、ここはそういうことを素直に書き連ねていく場所にしようと思う。

@take9
信州の端っこで薪を割りながらゲームのシナリオライターをしています。