『VATD』については、これで最後にしておこうかな。
あとはストーリーの話かな。
これはそんなに苦労しなかったな正直。構成としてはもう、最後にベム(ベム言うな)に向かって大見得を切るというクライマックスが一番先に頭にあって、そこにたどり着くために逆算したらああなった…みたいな?
自分で言うのもなんだけど、あの最後の「プレイ」は良かったなーと思っている。
最初は「面倒くさがりな冷笑系」って性格だったんだけど、〝神〟が「面倒くさがりはもういる」と仰る(笑)
当時も思ったんだけど……おじちゃん、別にそんな面倒くさがりじゃなくない?w お友だちのことがあって多少世を儚んでいるところはあるにせよ、やる気を失っているとかそういうわけでもないし、普通に頼れる先輩だよね。言ってるだけだよね、アレ。なので、最初に言われたときにピンと来なかった。
でも、「言ってるだけだろ?」という感想から「あっ」と思ったんだよね。
『VATD』はあらゆる意味で『WOC』の対比になっていないと意味がない(爪痕…爪痕ですよ。前任の方を超えられなけりゃ次は無いんですよ!)。とはいえ、「主人公は嫌なヤツです」では話にならない。実は悩んでいたところ、おじちゃんの言動見返してみて「これだわ」って。
それが突破口になって、ただの冷笑やれやれ系ではなくて、ああなった。可愛い子ができたぞって思っている。それも自覚してるっていうのが、最高に拗らせてていいでしょ?w(自画自賛は大事)そしたら、最後のアレもぱーっと頭の中に浮かんできてね。
なので、おじちゃんあってこそなんですよ彼女は。完全におじちゃん考えた人(神なのか前任の方なのかは不明)におんぶに抱っこですね。汚いやり方ですね。
今更ながら、良くあの話でOKしてくれたよな。
だって、当時の本編って……でしょう? いや、本編はずっとあの調子ですわよと言われればそれまでですけど、とにかくそんな状況で「プレイよ、プレイ」は我ながらどうなんだって。
もちろん、通す自信はあったけど。そこまでの間、丁寧に段階を刻んだつもりだし。それでもOK出るまではヒヤヒヤした。
……さて、この先は本当にただの怪文書なんでそのつもりで。
『AOA』の某シーンで彼女は過去に「色んな方向性を模索した」ってことになっている。最初は後輩くんと同じ、ピュアピュアまっさらな状態で生まれたものの、最初から「足りてない」というハンデはあるし、飲み込みも後輩くんより悪かったんだろうね。苦労したと思うよ、ママはw
いつまでも芽が出ない、パッとしない、一人前になれない……となりゃあ反抗期も来ますわな。そんな中で、実はママ以上に根気よく見守っていたのは、おじちゃんだったんじゃないかなって。
最初はもちろん、ツンケンされるんだけど…おじちゃんほら、あんなだから。うまいこと受け流して懐に入っていっちゃうわけよ。そんで、彼女のほうもだんだん打ち解けていく中で気付いていくわけ。おじちゃんも、実は怠惰の仮面で傷を隠して…プレイで乗り切ってるところあるんじゃないか…ってさ。
そこから模索が始まっていく。あんな方向、こんな方向。お控ぇなすって。
足りてないなら、弱い自分を鎧える理想の「カッコいいアタシ」で〝盛って〟やるぞって。またしてもママは当惑しただろうねw でも、受け入れることで信頼を示した。それが、「あの子は自分で自分を支えるものを見つけたのよ。偉いわ」に繋がっていくんですよと。
本当は、おじちゃんとの掛け合いはもっといっぱいあったのよ…。仲良しなのよ、あのふたり。
育成する側も、「ひとりに任せていると時間がかかるしお互いにサポートもしづらい」みたいなこと考えたんだろうね。まさかこんな問題児が出てくるパターンもあるとは…何とか対策せにゃ、みたいな。だから、後輩くんが出てきた時は(切羽詰まった事情があったにせよ)、複数人で順番に面倒を見る仕組みに変えたんじゃないかなw そしたら後輩くんは、どえらく出来が良い子だったというw
余談だけど、『本質的にひとり分足りてないので効率化で補っている』というのを考えたのは僕ではなく神です。よく捻り出したよねぇ。放送で聞いて僕も「そ、そうだったのかぁ!」ってひっくり返った思い出。
じゃあ↑の話は何なんだって? だから…怪文書ですよ、怪文書。