




Ueno, Tokyo.
とにかく、もう少し何をするにもシンプルでありたい。
昨日、土間と洗面所を掃除するのにMakitaのコードレス掃除機を使ったのだけど、シンプルでいいなとしみじみ思った。
やれサイクロンだの何とかブラシだのどうとかフィルターだの一切ついていない、ただ「吸い込む」だけの機械。
ブラシレスモーターが18Vのバッテリーで駆動し、とにかくパワフルに吸い込むことだけを考えて作られている。実に良い。
本体とゴミのカップは、軽くひねればすぐに外れて、吸い取ったゴミは何も考えずに燃えるゴミの袋にぶち込める。それでおしまい。
洗濯機にしろ何にしろ、シンプルに「その用を足す」ことだけに特化した機械や道具が、最近とみに美しいなと思うようになっている。
昔のフィルムカメラもそうだ。このシンプルでいて、どことなく儀式めいてもいる一連の所作を楽しむためにフィルムで撮っているといっても過言ではない。
そうやってシンプルを愛でていくと見えてくるのが、
「できないことは、できないことで良いんじゃないかな」
ということだ。
翻って、今の自分の働き方を考える。
多くのこと…というか、人付き合いを小器用にこなすことを求められがちだけど、もっと…もっとシンプルでいいんじゃなかろうかと、最近思うようになってきた。
突き詰めていえば俺の場合、
「これは書けます」
その一点で価値を見出してもらうほうが正しいのではないか。
でもそうすると、家族全員を飢えさせない収入という面ではどうしても下がってしまう。そこが悩みどころ故に、
「これは全然得意ではないんだけど……まぁ仕方ない…やるか…お金のために……」
が発生する。
これをどうするか。
俺程度の凡庸な才能では、なかなか「これは書けます」だけで生きていくのは難しい。
でも、「難しい」だけであって「無理」ではないいのではないか? お前、そこんところもっとちゃんと突き詰めたことある? と、自分に問いかけ続ける最近である。
…自分のこと、まったく創作的な思考ではないと思って25年やってきたけど、意外とそんなことないのかもしれない。