読書録:『ぼくの村は壁で囲まれた パレスチナに生きる子どもたち』(2024/2冊目)

takei_shg
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パレスチナ問題を把握したいと思い友人に聞いてみたところ、この本がとっつきやすいということで紹介してもらった。パレスチナ問題の整理がつき、とてもよい入門となった。(ちなみにその友人は米文学研究者で以下の本を出している。おすすめなので宣伝。タイトルは煽りっぽいけど、イクメンという単語がどういった社会的背景を持って流布されてきたのかを日米の育児環境の分析を踏まえて行っており、事実に基づいた丹念な考察を綴っている。)

さて、パレスチナ。

現在進行系で、目を覆いたくなるような惨状が続いているが、恥ずかしながらきちんとした歴史背景をこれまで把握してこなかった。

この本を読んで色々と知識を得た。

まず、ハマスはテロ集団であるという見方は表層的であった。

以下の記事にあるように、彼らはイスラムでは穏健派で、PLOの腐敗という背景を受けて現地での支持を得ている。

さきの「イクメン」という言葉に対する考察にも通じるが、レッテルが貼られその言葉が流布される背景には、社会的・政治的意図が込められるのだということに改めて思い至った。イスラエルにとっては、自分たちの正当性を主張するために、相手の非道さをアピールするという戦略が必要とされる。そして、日本や米国ではイスラエルの非道さを指摘するパレスチナの声がメディアでとりあげられることはない。

イスラエルという国が作られた背景、ユダヤ教・ユダヤ民族という言葉の複雑さについても知らないことばかりだった。

根源的に、ユダヤ民族に対する差別が歴史上連綿と続いており、その差別に対する極端な反応がイスラエルという国の成り立ちに関わっているとみえた。そして、いまイスラエル自身が極端な排斥を行っている。この本では、そうした排斥の記録がパレスチナ市民の目線から語られ、ハマスによる今回の武力蜂起の理由については判然としないものの、その背景には理解ができるようになった。

しかし... 彼我の壁を作り、他者を極端に排斥するのは人間の性なのか。

それとも、生存を脅かさないほど豊かであれば共存は可能なのか(衣食足りて礼節を知る?)。そんな時代はこれまで一度もなかったわけだが。

Humanityというものへの信頼が否応なしに崩れ、とても暗い気持ちになるわけだけども、以下の記事でスラヴォイ・ジジェクが指摘するように、僕たちはよりよい未来を目指して前を向いて進まなければならない。

 ハマスとイスラエルの強硬派はコインの裏表だ。私たちは、境界線をハマスとイスラエルの強硬派の間に引くのではなく、二つの極端な勢力と平和な共存の可能性を信じる人たちの間に引かなければならない。私たちは、二つの極端な勢力と交渉してはならず、代わりに反ユダヤ主義と戦い、同時にパレスチナの権利のために闘争しなければならない。

 理想的な話に聞こえるかもしれないが、二つの闘争は同じ闘争だ。私たちは、イスラエルが自らをテロから守る権利を無条件に支持すると同時に、イスラエル占領地に住むパレスチナ人が直面する絶望的な状況に無条件に共感しなければならない。二つの立場に「矛盾」があると考えるのであれば、まさにその考えが、問題解決を事実上妨げることになるだろう。

スラヴォイ・ジジェク

@takei_shg
プログラマー、2児の父、ベイエリア民