それは単純な話です!

takeshi81
·
公開:2024/7/15
隙間から顔を出す猫(ぱくたそ)

積読していた電子書籍の哲学入門書を読んで思い出したことがある。

私が一緒に仕事をしたことのある、私より10歳くらい歳の若い同業のフリーランスがいた。彼は人もよく、真面目で、深く話せば一癖ある感じもあるが、(例えば私のような)他の自営業者に比べれば少ない方で、安心して一緒に仕事できる相手であった。

最近は私が少し違う業界へ行ってしまったので、話してもいないし、近況も詳しくは知らない。そんな彼と昔よく話していたときに気になったことがあった。

私は、物事を多面的に解釈する癖があって、「こちらから見たらこうなっていて、違う側面から見るとこうなっている」といったようなことをまず洗い出して、その上で最適解を探すことをしがちである。一見よいことのようだが、一々こういった作業をするのは手間暇かかるので結論が出るまで時間もかかるし、私も疲れてしまう。日々の暮らしでは、大概経験や直感に頼った方が素早く決断できて楽である。何事も良し悪しだと自分自身は思っている。

彼と仕事上の課題を話していた。私は思考と発話が直結している人間で、意識して口をつぐまなければ、独り言が多いタイプである。幸いこのときは話す相手がいたので独り言にはならなかったが、結論に至るまでの経過を口にして彼に聞かせることになってしまい、彼もまとまりのない情報が多く焦ったかったかもしれない。そういう時、決まって彼はこう言った。

「話は単純です。それは、◯◯というだけです。それさえ解決できればいいんですよ」

彼は話を要約するのが上手い人だった。確かに我々のような職種では依頼主の数々の困りごとをヒアリングして整理し、時に第三者の認識や客観的なデータも用いて真の課題を特定し、解決の道筋をつけることが求められる。

しかしな、と私はいつも思った。課題を一つのワードにまとめて提示できるのは、とっ散らかった話より理解しやすくてよい。ただ、それと課題解決の難易度は全く一致しない。話を整理してもらえるのはありがたかったが、「では、どんな解決策があると思う?」と投げると、シンプルなアイディアが出てくるものの、課題の背景について考慮してるか、と指摘して、うんうん悩んでしまったりしていた。

議論するとき、論点が見えにくいと話がしづらいので、論点整理は必要だと思う。ただ、言葉のシンプルさと解決策のシンプルさは一致しない。こうして書き出せば明らかなことでも、私たちは人間なので、時々勘違いしてしまう。

私も50歳が近くなったということは、彼もそういう年齢になったわけで、今はもっと経験を積んでうまく物事を運んでいることだろう。一方、私は体力も思考力もゆるやかに下降しているのだと思う。それでも死ぬまでは生きていかなければならないわけで、日々持続可能な生業について思いを巡らせている。

@takeshi81
A wanderer or web designer. link.idw.jp