松村圭一郎「くらしのアナキズム」

takeshi81
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松村圭一郎「くらしのアナキズム」の書影

アナーキズム(anarchism)

《「アナキズム」とも》一切の政治的、社会的権力を否定して、個人の完全な自由と独立を望む考え方。プルードンやバクーニンなどがその代表的な思想家。無政府主義。アナ。

出典: デジタル大辞泉 / 小学館

すごく過激な思想っぽい言葉ですよね、アナキズムって。「無政府主義」ですからね。昔アナキズムを掲げた人々の運動をご存知の方は、特にそうかもしれません。

ただ、アナキズムという言葉も、元々は古代ギリシャ語の「支配者」(archi)に、接頭辞の「〜が無い」(an-)が付いた「支配者がいない」という言葉が語源とされていて、「無政府」というより「反支配」「非支配」と訳した方が実際のアナキズムの考え方を理解しやすいでしょう。

アナキズムの目的は、国家の否定というより「権力による支配の否定」にあります。国家は支配者の代表格ではありますが、原理主義のような独裁的宗教、家父長制、ヘテロセクシズム(異性愛中心主義)なども対象として挙げられることがあります。

今回は「私の一冊」のご紹介なので、アナキズム自体の説明はこのくらいにして、2021年秋にミシマ社さんという素敵な出版社から刊行された、松村圭一郎著「くらしのアナキズム」のお話をしようと思います。


著者の松村さんは文化人類学を専門にしている研究者です。本書の冒頭で、松村さんが研究のフィールドとしているエチオピアで訪れた、ある村での気づきを紹介しています。そこから、国家とは何か、内面化しすぎて疑うことすらしなかった常識は正しいのか、人はどうやって身の回りの問題を解決してきたのか、ひとりの人類学者としての「国家なき社会」のあり方を論じています。

といっても、啓蒙的に「国家を解体しよう」と語っている本ではありません。

20世紀、支配者が次々に代わり、その度に税を課されたり、自ら開墾した土地を追われたり、子を徴兵され亡くしたりしたエチオピアのある村に暮らした農民の人生。そして自身の出身地で2016年に強い地震に見舞われた熊本、国家統治が行き届かない土地で見たある人類学者の報告などを引き合いに出しながら、国家による統治が(一時的にしろ)あまり機能しないところで、人はどう生きているのか、秩序はどう保たれるのか、混乱が生じるのか、といった事例を紹介しています。

当たり前ですが、人間は国家ができる前から社会生活を営んできました。集落などでの揉めごと、隣の村などとの付き合い、共有地での収穫や利益の分け方などは、国家ができる前、あるいは国家の支配が進む中でも、長い間基本的に自分たちで解決してきました。こうした場では、多くは多数決でなく、世間話も交えながら、急がずに合意形成を目指したとあります。

そうした「村の寄り合いでの決め方」と「多数決の議会」、どちらがより民主的なのでしょうか。民主主義は国家の専売特許ではありませんでした。平等も、人々の営みの中から生まれた知恵でした。

本書は、革命の書ではありません。私たちの日々の生活にアナキズム的な視点を取り入れて、内面化した「権威」から自分を解いて、自らの力で自由と平等、民主主義を少しでも取り戻してみましょう、と優しく促してくれる、とても実践的な実用書なのだ、と私は思っています。


私の拙い文章をこれ以上連ねるよりは、ミシマ社さんのサイトで本書の序文が公開されていますので、そちらをお読みいただいて、もし興味があれば、ぜひお手に取って読んでみてください。

『くらしのアナキズム』(松村圭一郎 著)「はじめに」を公開! | みんなのミシマガジン

松村圭一郎「くらしのアナキズム」(ミシマ社)

このテキストは「私の一冊 Advent Calendar 2024」のために書かれました。私は12月25日分を担当しています。

@takeshi81
A wanderer or web designer. link.idw.jp