折り畳まれた時間のこと

前に事務の派遣に出ていたとき、朝デスクの掃除をしていると、隣の席の人の髪が昨日とは違う様子でくるんとしている。目があって「髪、似合っていますね」と小声で声をかけると「朝、時間があったから巻いてきた」とすこし照れくさそうに毛束を持ち上げた。

そのときに、私はこの人の職場の姿しか知らないけれど、家での準備の時間があり、移動する時間があり、その知らない時間の集積の一番先っぽを見ているんだなと思った。この人だけではなく、フロアには100人近くの人がいて、それぞれの折り畳まれた時間のことを思うと、ほとんど話したことのない人でも少しだけ親近感が湧く気がした。

他人の生活の時間について話を聞くのがとても好きで、親しくしている人に、どんなふうに家で過ごしているか細かく聞かせてもらうことがある。

お風呂にはいってから、眠るまでの時間。家で本を読むときの場所。朝起きて、出かけるまでにすること。予想とは違う答えが返って来ることもある。この人はきっとお風呂で本を長時間読むんだろうな。なんて思っていても「シャワー派です。お風呂で本読んだことないです」とばっさりいかれることもあって楽しい。聞いてみて初めて分かることがいくつもある。似ていても、違っていても、生活の手触りがすぐ側に見えるような気がして、近しいひとのことをもっと好きになる。

日記にはたいてい、ふだん決して目にすることができない折り畳まれた時間のことが書いてあるから好きだ。どんな日記も知らない質感を持ってそれぞれの生活がなぞられている。楽しいことも、上手くいかないことも、苦しい夜も、起きたくない朝も、日記を通してみることで、背中にそっと手を当てたいような、他人なのにすこしだけ親戚のような気持ちが一方的に芽生えてくる。

たまに、使い慣れたガーゼのハンカチのような身体中の力を抜いて読めるような、しっくり馴染む文章に巡り会えるととてもうれしい。風呂に持ち込むのはだいたい日記本で、くたくたにしながら何度も読んでいる。