目的
死に対する捉え方を学ぶ
死を生の糧にするための考え方を学ぶ
TL;DR
死に良いも悪いもない
図に即した死ははたから見れば犬死にでも、恥じる必要はない。本当に恥じるべきは図に外れた生である。
死を受け入れることは相対的に生を引き立てる
死を強烈に意識した上で死をも厭わず、今に没頭することが武士道の要諦。死を覚悟したうえで物事に取り組むことこそ生きるということ?
要約
「葉隠」3つの哲学 p35
行動哲学
政治的なプロパガンダではなく、個々人の行動に根ざした主観的な行動哲学。マキャベリズムのような客観性は持たない
恋愛哲学
生きた哲学
「武士道というは、死ぬことと見付けたり」の次の段に「好いたことをして暮らすべきなり」という一見矛盾した主張が共存している。このように理想論に根ざした空虚な理論ではなく、複雑性を背負い込んだリアルな思想である。
高慢がエネルギーの源
自分なら出来ると信じて、全責任を担う覚悟で物事に取り組まないと決して身につかない。謙譲なだけではだめ。なぜなら、高慢な自分と実際の差分という認知的不協和を解消するために否が応でも真剣に物事に取り組むことになるから
生きるとは運命に準備すること
夜と霧でも言っていたが、生とは与えられた運命に対して具体的な行動をもってして回答することである。良い回答(行動)が良い人生につながる。不測の事態には日頃の準備が肝心なので、よって良い人生は良い準備によってもたらされると言える。今がいざという時
義の客観性
義(倫理的、道徳的な正しさ)の方向性は自分で判断できないから、他者に相談してアドバイスを貰ったほうがいい。
教訓を賜ってくれる人とは若いうちから懇意にすべし
30を過ぎると教訓を賜ってくれる人はほぼいなくなる。なのでありがたいアドバイスをくれる人とは若い内に関係を結んでおき、様々なアドバイスを貰えるようにしておく
死に良いも悪いもない
図に即した死ははたから見れば犬死にでも、恥じる必要はない。本当に恥じるべきは図に外れた生である。死ぬ覚悟をもって物事に取り組むことが第一義のものであるので、死を恐れてまたは忘れてなあなあに物事に取り組むことこそ生を無駄にしているにほかならない。
図にはづれて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。 毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。
メモ
今現在と百年後の間を生きている、それが難しい
山本常朝が自己正当化するための文書な気が
光茂の逝去により重鎮の座を得られなかったがため、例え自分が死んだとしても君主にのみ精一杯尽くすことこそが善であるという主張を一貫して行うことで、自分の人生に納得したかったのではないか。武士と名誉心は切り離せない関係であると本人が言っているが、目前の名誉を失った苦悩を「主君にのみ忠義を尽くす」という信念を突き通したという事実をもって名誉心を打ち消している用に見える。
本来、もう少し狡猾に立ち回っていれば名誉を得られたかもしれないと思いつつ、本書の思想を通じて念願叶わなかった不協和を解消していたのでは。
常朝はそれを自覚しているがために葉隠を焼き払う事を命じたのか?
アクションプラン
翌日やることを前日の夜に確認する
尊敬してる先輩をご飯に誘う