自省録: マルクスアウレリウス

takigon
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目的

  • 感情を理性で制御するという思想を知る

  • 自分の視点次第で世界は変わるという思想を知る

TL;DR

  • コントロールできること(内なる理性)に終始没頭し、できないこと(外的衝動・運命)に対しては、理性のフィルターを通じて対処する。どうしようもないことは甘受する。

    • 指導理性に基づいて、世界の見方を変える。人生即主観。

    • 外界は流転しており、それに腐心するのは無駄である。

    • 未来も過去もない存在しない。今どう感じるかの連続が人生であり、その人生に充足していることこそが幸福

    • 構成素質に基づいて、あなたがやるべきことに注力すること

メモ

  • 今を捨てるか、存在しない未来を捨てるか

    • 人間が持っているのは今現在の時間のみ、過去と未来は存在していない。存在しない未来の失敗におそれて今を捨てるのは愚の骨頂

  • 確固たる信条と内省

    • なにかに不満がある時は、自分の価値基準と理性に立ち返り留保する。そうすれば自ずと不満は消える

  • 宇宙即変化、人生即主観

    「君が心を傾けるべき若い最も手近な座右の銘のうちに、つぎの二つのものを用意するのがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ」

  • 人は理性と衝動の両面を持ち合わせる。世界も同様

    • 衝動的な人もいれば、理性的な人もいる。そこに善悪ではなく事実が存在するのみ。

  • 種子的理性

    • 理性がすべての要素にあらかじめ内在しているという考え。

  • 衝動と理性・偶然と必然

    • 衝動は理性で制御する

    • 偶然の不運は個人における衝動。衝動と同様に理性で制御しなければならない。

  • 最も良い復讐は自分まで同じことをしないこと

    • 反面教師にすることは自分の負の感情の伝搬を防ぎ周囲を快活にするのに役立つ。周囲を快活にするのは自分を幸福にすることに役立つ。

  • 6巻19章

    或ることが君にとってやりにくいからといって、これが人間にとって不可能であると考えるな。しかしもし或ることが人間にとって可能であり、その性質にかなったことであるならば、それは君にも到達しうることだと考えるべし。

  • 蜂の巣にとって有益でないことは、蜜蜂にとっても有益でない

    • 端的でわかりやすい。世界は社会に対する公益を重視する民衆の理性で成り立つべきであり、自分勝手で秩序を乱す行為は自分の首を締める。

  • 指導理性

    • **世界の意味づけを自由に導くことのできる理性です。**それは想像の産物を滅することだけでなく、むしろ苦悩や恐怖のようなネガティブな事象をポジティブなものに変えられる自由な理性です。

  • 失敗について

    何もかもうまくいかない。誰だってそんな日はある。けれど、怒ったりがっかりしたり、不満を持ったりするのは良くない。失敗に打ち負かされたのなら、再びその場所に戻れば良いだけではないか。たとえ上手くいかなかったとしても、自分の行いが人として相応しいものであったのなら、これで良かったのだと満足すればいい。何より今、君自身がもう一度挑戦しようと立ち上がり、戻るべき場所に戻ろうとしている。その事実を愛してあげるべきではないだろうか。

  • 他者の行動における善悪を判定する

    • 他者の言動は注意深く観察し、それが衝動によるものか指導理性によるものかを考える。そのうえで、どのような指導理性に基づく言動なのかを更に考える。

感想

  • 矛盾

    • 未来も過去もないから今を生きろと主張する一方で、常時流転する世界には興味を持つなと主張する。変化するからこそ「今」が尊いような気がする。前者は変化する外部の評価に耳をかすなという意味なのか

  • 束縛

    • 何者にも束縛されるべきではないと主張する一方、マルクス自身がストア派の思想に束縛されているような気がしなくもない。理性以外の要素に束縛されるべきではないという意味?

  • 宇宙と人間と人生を同一と見なす

    • 人間は数々の理性と衝動(感情)をもとに意思決定を行い生きる

    • 人生は数々の意思決定のもと成り立つ

    • 宇宙(世界)は過去から現在まで、数々の人生によって構築されている

    • よって、人生と宇宙は人間と同様に理性の一部であり、数多の意思決定が織りなす理性的な制作物である

  • 哲人皇帝も普通の人

    • ベッドから出れないとか、他人からの評価がきになるとか、死にたくないとか、後世に名を残したいとか共感できる。2000年の時代を経ても考えることは割と一緒。えもい

  • 自己実現欲(良く言うと)が捨てきれない

    • 構成素質に基づいて人生を全うすることが尊いと主張しているが、自分は「置かれた場所で咲きなさい」的な(ある種の諦め的な)人生は嫌かもしれない。マルクスが生きた2000年前より科学技術が発達した。また日本においては身分によってできることが制限されることもほとんど無い。であれば自分がなりたい像に向けて、多少無茶でも挑戦したいと思ってしまう。多少他の人に迷惑をかけてでも。社会公益が犯されないのあれば問題ないのか。

      もし、構成素質に見合った人生を強いられるのであれば、「目標に向かって努力できる」という構成素質を幸運にも授かった責務を全うし、事故の実現を目指したい。

参考

31.マルクスアウレリウスからあなたへ、心に刺さるメッセージ|のん★

@takigon
読書記録的なもの