「こちら側のどこからでも切れます」とうまく付き合えない。
そういう小さな段差に躓きがちの人生だ。
「こちら側のどこからでも切れます」という甘言に惑わされ、文字が書いてある場所とは異なる方角を指す矢印をつい見落としてしまう。
「こちら側のどこからでも切れます」を読まなければならない時、人は極度に疲れていることが多い(らしい)
文字を読み、文章を理解し、矢印が指す正しい辺を見出し指示に従う。
多様性に守られた正しい範囲を見つけ出す。
ああ、なんて困難の多い。
そう思えば、「切れ目」というものはいつも寛容である。
「切れ目」と私の間に言葉は要らない。あるのはたった一つの答えだ。