1年前に籍を入れた。
元々ヒーローが好きな人で、雑誌やテレビで追ったり色々なヒーローのSNSをフォローして更新を楽しみにしているような人だった。二人で出かけた時も、近場で事件が起きてヒーローが活躍しているという情報を聞けば、見に行こう!と私の手を引いて現場に駆けつけることもよくあった。
でもこのくらいなら全然許容範囲だった。私もヒーローは好きだし。
様子がおかしくなったのは、入籍する3日前のことだった。
通勤途中の夫(当時はまだ彼氏)に、たまたま大型ヴィランの投げた巨大な瓦礫が飛んできたらしい。死を覚悟した夫を助けてくれたのは、あのプロヒーロー・デクだった。
デクは夫に怪我がないか確認した後、気を付けてという言葉をかけてからヴィランを追っていったらしい。
恋に落ちた夫を残して。
そこから夫はおかしくなった。
最初はヒーローに助けられた興奮から浮かれているんだと思った。婚姻届を役所に提出しに行った時も、共通の友人たちに報告する時も、どこか心ここにあらずな様子に少しイライラはしたけれど、まあ本当に嬉しかったんだねーくらいに思っていた。この時点で気付くべきだったけど。
私たち夫婦には、甘い新婚生活などほとんど存在しなかった。
夫は口を開けばデク、デクとデクに関することばっかりで、私の話なんて何も聞いてくれない。休日もデクがいそうな現場に出かけたり、デクのファンクラブで知り合った友人たちと遊ぶばかりで私のことは完全に後回しだった。
シンプルですっきりしたインテリアでまとめたいねと話していた新居は、デクのグッズであふれかえっている。私が少し掃除の時にずらそうとしただけで、半狂乱になって大事そうに抱え込む。そのフィギュア、同じの5つは持ってるよね?
ハワイでも行きたいねって二人で話してた新婚旅行は、夫の強い希望で東京の保須市になった。デクが初めてヒーロースーツを着て活動した場所らしい。何の観光地らしさもない普通の街を、興奮する夫の隣で無言で歩いたのが唯一の思い出だ。新婚旅行までデクの聖地巡礼にする夫は、私が惚れた男とはもう別の生き物にしか見えなかった。
それでも一年頑張った。
夫と話を合わせるためにデクの情報も調べて、追っかけっぽいことも一緒にしてみたりもした。熱に浮かされたように話す夫の言葉に一生懸命相槌も打ち続けた。「お前と話すよりファンのみんなと話す方が楽しい」って言われても、そうだよねって答えて、出かける夫を笑って見送った。
でも、デクで頭がいっぱいの夫でも、さすがに結婚記念日くらいは覚えていてくれると信じてた。だって1年目の記念日だ。さすがにお祝いにどこかご飯でも食べに連れていってくれるはず。それさえ一緒に祝ってくれれば、この人と一緒にやっていけるだろうと信じてた。いや、そう思い込もうとしていたのかもしれない。
1週間くらい前からどこかそわそわしている夫は、きっと何か考えていてくれているのだと思ってた。どこ連れてってくれるんだろう、何を食べようって私もワクワクしてた。
だけど3日前になっても、夫から結婚記念日の話は何もなかった。どこかお店に行くなら予約が必要だ。サプライズで予約をしてくれてるのかなとも思ったけど、夫はそういう用意周到なタイプじゃないから心配になった。
それで、思い切って夫に聞いてみた。「もうすぐ1年だけど、覚えてる?」って。
夫は満面の笑みで頷いた。「もちろん!今日は俺がデクに助けられてから丸1年の記念日だ!」
何かがプツンと切れた音がした。
もう無理だと思った。無言でその場を立ち去る私を、夫は見てもいなかった。いや、この1年の間、夫が私に目を向けることはなかった。だって夫がずっと熱を帯びた視線で見つめていたのは、テレビや雑誌越しのヒーロー・デクだったから。
デクは何も悪くない。彼は立派で優しく強いヒーローだ。夫を助けてくれたことにも感謝してる。
でもどうして?とも思う。どうしてあの日、助けられたのが私の夫だったんだろう。助けてくれたのがデクだったんだろう。かつては夫と恋人だったからこそ、痛いほどにわかる。今の夫はデクに恋をしているんだと。あの日夫は、自分を助けてくれたデクに一目惚れをしたのだ。
家を出て、ネットカフェの中でこの文章を書いている。もうどうしたらいいのかわからない。脳裏には、名前だけ書いて引き出しに隠してある離婚届の存在が浮かんでいる。限界だ。助けてよ、ヒーロー以外の誰か
【追記しました】
皆さんこんなまとまりのない文章にたくさんのコメントありがとうございます。あれから少し落ち着くことができました。個別に返せなくてすみませんがこちらで返信とさせていただきます。
離婚しろ→だいぶその選択肢は私の中で大きくなっています。でもまだ夫を好きな気持ちもあるし、引っ越しや仕事など諸々を考えるとすぐには実行できない状況です。
好きなヒーローいないの?→夫ほどの熱量ではありませんが、います。大爆殺神ダイナマイトが好きです。私もダイナマガチ恋になろうかな…