「音楽に救われた」という感覚がいまだにわからない。

takuminoue
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この間、「好きな音楽は何?」と聞かれて、すごく困ってしまった。

 

振り返ってみると、子供の頃によく父親の車の中で流れていた音楽は『The Beatles』の曲だった。『All My Loving』や『All You Need Is Love』、『From Me to You』や『A Hard Day's Night』とかはいまだに当時の記憶が蘇るぐらいにはたくさん流れていたのを覚えている。1歳ぐらいの時から小学校5年生ぐらいまでの話なので、英語はほとんどわからず、耳に入ってくる音だけを覚えては知ってるカタカナにあてはめながら歌っていた。だからか、今だに街のどこかでビートルズが流れてくるとつい口ずさんでしまう。もちろんカタカナで。

 

小学校高学年に入ると、車で流れるのはビートルズだったが、自分から能動的に聞き始めていたのは『ORANGE RANGE』や『嵐』などのジャニーズの音楽。小学校5年生の頃にORANGE RANGEのYAMATOに似ているからとバレンタインデーにチョコレートを数人からもらったからなのか、それともその前から単純に好きだったからかは覚えてないけど、よく聴いていた。僕は子供の頃から大きな声を出す癖があり、常に声が枯れていたので、そのハスキーボイスを生かし、カラオケでは大人の歌い方を真似たりしながら歌っていた。声変わりをしたわけではなかったのだが、なんだか周りよりも少しだけ大人になった気分だった。

 

両親が離婚し、僕は中学に入り、バンドにハマった。『BUMP OF CHICKEN』や『RADWIMPS』、『ASIAN KUNG-FU GENERATION』など、今となっては知らない人はいないバンドだが、当時はまだめちゃくちゃ有名!とかではない音楽を聴くことが増えていた。当時は認めたくなかったが、僕は割としっかりと厨二病を通っていて、まあ何を厨二病と呼ぶのか正しくはわからないけれど、カッコつけることが自分のあらゆる選択の基準になっていた気がする。正直、モテたいが理由で、気になっていた女の子が女の子同士で話していたアーティストの曲をカラオケで練習したり、MP3プレイヤーに入れてよく聴いていた。

 

今書いていてふと思ったが、僕は小学校高学年から中学までの間、ある種の「モテたい」が聴く音楽を選ぶ基準だったのかもしれない。ここでいう「モテたい」は確かに女の子にただモテたいという気持ちもあるが、それだけではなく、“他の人とは違う曲を聴いている自分”という周りと違う自分であることに優越感を感じていたり、そのように独自のポジションを取りながらも誰かが好きな曲も知っていたり、歌えたりする状態を作ることで、チヤホヤされることへの意識も高かったのだ。ちなみに当時、母親は『コブクロ』にかなりハマっていて、僕ら兄弟には内緒でファンクラブに入っていたり、LIVEに行ったりしていたぐらいに好きだったようなので、車の中で流れる音楽はコブクロに変わっていた。

 

、高校に入ってからは、弾き語りのアーティストの音楽を聴くことが一気に増えた。『ゆず』や『ナオトインティライミ』、『秦基博』、『スキマスイッチ』など。ソロのアーティストも好きだったが、比較的二人組のアーティストにハマるようになっていた。弾き語りのアーティストにハマったきっかけは、今思うとこれもまた「モテたい」であった気もするが、次第に音楽の聴き方が変わっていった。聴き方が変わったきっかけは、ギターを自ら触り始めたのも理由の一つかもしれない。カラオケに行くと、二人組の曲はパートが分かれているので、一人では歌いにくくなっている。せっかくよく聴くようになった曲は歌いたいので、僕は決まった友人とカラオケに行くことが増えた。お互いにたくさん曲を聴き、カラオケで合わせる。たまに採点をしたり、なんならハモったりもして、歌っている自分たちに酔っていた。その結果、歌う以上の楽しみを増やしたくなり、ギターを触るようにもなっていた。

 

それから少しずつ年齢を重ねていく過程の中で、フェスに行くようになったり、クラブに行くようになったりと、そこそこ色々な音楽には触れて来たと思う。カラオケに行くと、これまで聴いてきた音楽のジャンルがある程度広いからか、行く人に合わせた歌を歌うことができるというのは、結果良かったなとも思う。

 

音楽にはきっといろいろな楽しみ方があるのだろう。

フェスで盛り上がったり、カラオケでストレスを発散するように一人で歌ったり、キャンプに行った時にギターがあればみんなで歌う空気感がたまらない。

懐かしい音楽を聴いてあの頃を思い出したり、ある曲を聴くことで自分を鼓舞することもあるだろう。

 

世間一般的にも、自分の周りでもたまに、「音楽に救われた」という言葉を聞くことがある。

この感覚は頭では理解できるものの、僕には音楽に救われたと感じるようなことはこれまでなかった。

 

でもなぜか僕には、少しばかり恥ずかしいが「音楽で誰かの力になりたい」という気持ちがある。学生の頃に少しだけ音楽に触れ、LIVEをやったりもして、その時の感覚が身体にこびりついていて、それがまだ昇華しきれていないからなのかもしれない。

 

「音楽に救われた」感覚がない僕が、「音楽で誰かの力になる」なんてことは可能なのだろうか。

 

昨日も書いたが、僕は最近自分の頭だけで考えるのではなく、何かに身を委ねながら、先に身体を動かしたり、誰かに何かを言ってもらうことを通して考えるということに興味を持ち始めている。その一つに音楽もあるかもしれないと思う。

 

すごくふわっとはしているが、元気を出したい時やスイッチを入れたいときに聴くプレイリストがある。

プレイリストに入れるときは、あまり深く考えずに感覚的に選んで入れているのだが、それらには共通したビートやメロディーライン、歌詞の方向性、聴いた音に合わせてとってしまうリズムはありそうだ。聴きたくなるシーンや景色もあるし、なぜだか自分らしささえ感じてしまう部分もたくさんある。

 

僕はそんな音楽に救われているのかもしれない。

僕は僕を救ってくれるような音楽を作ってみたいのかもしれない。