僕は朝、必ずと言って良いほどシャワーを浴びるタイプだ。
湯船を洗うのがそんなに好きではないからお風呂に入ることは少ない。それに最近はだいたい夜は疲れ切っていることも多いので、夜のシャワーはサボりがちだが、朝にシャワーを浴びるのは習慣化してる。
僕はかなり怠惰なので、疲れていたら何もしたくないし、そこで寝つきや次の日のためのことを思って、ちょっと気合を入れて夜のうちにシャワーを浴びようなんて思わない。起きた時も自分の力で目を覚せるほど強くは無いので、シャワーの力を借りて目を覚ましてる。眠気を覚ますのに一番早く、歯磨きもシャワーを浴びながらしてしまう。その方が楽だから。あったかいし。
朝シャンをしてるときはできるだけ電気をつけず、窓から入る自然光だけを感じれるようにしていて、それがまたすごく心地良いのでぜひやってみてほしい。だから住む家を選ぶときは、朝の光が入るかどうかを基準の一つにするのはおすすめしたい。
元々僕は暗いのが苦手だった。子供の頃、弟と喧嘩すると親に怒られて、罰として暗い部屋に入ることが多かった。いまだに寝る時も真っ暗なのが怖くて、つい小さくても電気をつけたままでないと寝れない。しかし気づけば、大人になったからなのか、朝の暗さは好きになっていた。早起きは三文の徳と言うが、今の僕にとってその一つは間違いなく太陽が昇り切る前の薄暗い朝の時間だ。ちなみに僕がこれまでの人生の中で多分一番好きだった薄暗い朝の時間は、尾道にある『LOG』というホテルで過ごした時のこと。そこの朝ごはん会場で過ごした、薄暗く、でも小さな小さな自然光の入る空間での朝食の時間がたまらなかった。
今日も朝、薄暗くも、小さく小さく光が入る中、朝シャンをしていた。朝シャン中は何も考える気はないのに、何かをふと思ってしまうことがよくある。その違和感も心地が良い。今日はまだ1年が始まったばかりだというのに、今年の年末のことを思った。
僕は年末年始も大好きだ。たまたま12月31日と1月1日を跨ぐだけであって、毎日必ずある夜から朝にかわるだけの時間の経過でしかないはずなのに。一緒にいる人と互いに「おめでとう」と言い合える特別な数時間だ。「おめでとう」と言ったり、言ってもらえたりするのは誕生日もあれば、何かしらの記念日もある。
でも僕は、その中でも年末年始が好きだ。特に年末年始の空気が。多くの人が家にいるからか、外が静かでしっとりしている。
もちろん全員であるとは限らないと思うが、今年を振り返り、来年にワクワクする。年が明ける瞬間までのドキドキ感や年が明けた瞬間の何かがひらけた感。
そんな瞬間に毎年必ず立ち会うことができて、周りにいる人が心が昂る様子が見れて、それに共鳴して僕の心も理由はわからないけど昂る。そんな時間がたまらなく気持ちがいい。
年末年始のことを思ったときにふと、「年末年始を彩る側に立ちたい」という気持ちが湧き上がってきた。
どうしてなのかその瞬間はわからなかったし、今もまだわからないから、今日この日記を書きながらどうしてそう感じたのかを考えてみたいと思った。
高校を卒業して最初に作った飲食店、今の会社を始めてから作ったコワーキングスペース、立ち上げを手伝った多くの場所やサービス、どれにおいても僕は、そこで何かが起きている景色を端っこから眺めてるのが好きだ。「あ〜、作ってよかった。」と心から感じる。きっと自分が彩った環境で、目の前にいる人たちの新たなドラマを描いていく瞬間に立ち会っているような心地がして、好きなのだと思う。誰かと誰かを繋ぐのが好きなのも、そこで新しいドラマが生まれる様子を眺めることが好きだからなのかもしれない。僕の創作の共通点は多分そこにある。
僕は今年、どんな年末年始を過ごしたいのだろう。誰の、どんな時間、どんな瞬間を彩りたいのだろう。
かっこいい風なことを言ってるけど、本当のところは年末年始を忙しく過ごし、誰かの年越しの瞬間を彩り、そして少し遅れて休暇を取るというような、いかにも芸能人が過ごしそうな年末年始に憧れているというのが正直なところだったりもする。なんかかっこいいからってぐらいの理由なのだけれど。
今年の年末年始はそんな時間を過ごせるかはわからないが、いつかの年末年始は自分が作る何かで、誰かのあのドキドキ、ワクワクしてしまう瞬間を彩ってみたい。どんなことができるか、じっくり考えてみようかな。