虎に翼 (49-51) 感想

Talia
·
公開:2024/6/10

虎に翼についての感想を少しためてしまっていて、今日の(51)を見て気持ちが溢れると共に書かずにはいられなかった部分がぶわっっっと溢れたのでまとめて発散することにしました。

なるべく時系列に、でもちょいちょい前後して書くよ〜


(49, 50)

「変わらないね、君は」

「そんなふうに言うの、花岡さんだけよ。みんな私が変わったって言う。大人になったとか、謙虚だとか」

「謙虚?」

「もう、そんなに驚かなくても」

「でも、前も今も、全部君だよ」

寅子と花岡くんの再会のシーン、1分かそこらで昔と同じ雰囲気を取り戻す二人がとても好き。どれだけ時代や暮らしを変えられても、変わらない関係性や繋がりを、ふと取り戻す瞬間ってあるんですよね。今までの再会シーン(と言っても桂場小橋穂高センセのみ?)の中でも一番その懐かしさを感じた。音楽もそんな感じだったし

イマジナリー優三さん、あくまでイマジナリーだけど寅子の中ではしっかりと優三さんが生きてて、それを示すように誰も座っていない隣に笑顔を向けるショットがとても良かった。

「あけすけに言うと、大きなお世話です」と寅子が言った時のライアン、めっちゃ良い笑顔してる🤣 その後の「サディーーー☺️」も好きだな…ちゃんと逃げる寅子も良き🥰

(50)ラスト、寅子が花岡くんを待ってる時に傷痍軍人にお金を渡す人が多いの、花岡くんのニュースを知った人が多かったのかな…と邪推してしまった。花岡くんについては民法730条と絡めてこちらで思ったことが全てです。法の、人のあるべき姿、自己責任論、今もあまり改善されてないなと思ってる。


(51)

「ずっとこれが欲しかったんだ、私たちは。男も女も、人種も、家柄も、貧乏人も金持ちも、上も下もなくて横並びである。それが大前提で、当たり前の世の中が」

「欲しかったと言う割に嬉しくなさそうだな」

「これは自分たちの手で手に入れたかったものだ。戦争なんかのおかげじゃなく」

再会してすぐ「読んだか?」と憲法の話をするよねさん。

憲法の話、社会の話、政治の話。義務だから、もしくは心に余裕があるからするんじゃない。今を生きる切実な問題として、言わずにはいられないからするんだ。それは私たちも同じはず。

「戦争なんかのおかげじゃなく」よねさんがそう言った後にしみじみ頷く轟の表情も絶妙すぎる。

憤る気持ちを落ち着けるために憲法を唱える寅子と、壁に大きく力強く14条を書いているよねさん。二人の影が重なるシーンでした。

腕に火傷の痕があり、「知った顔がずいぶんいなくなった」と言うよねさんは、路上で酒に酔い潰れる轟を見てどう思ったんだろう。生きてて良かった、なんて姿だ、何してるんだ、あんなに剛胆だった奴でもこんなに荒れてしまうのか──そんな、喜びや驚き、怒り、悲痛な気持ちが複雑に入り混じった視線をしていた。初回見た時ここで泣いた。轟を三回も蹴ってるけど、三回とも全然強く蹴ってないし。よねさん…あゝよねさん……

轟のクィア表象については、ここに書くより、Blueskyに書いたことが全てかなと思ってるし、もっと書くとしても人目につくそこに書き足そうと思う。

……と言いつつ少しだけ。

正直なとこを言うと、私は轟の気持ちには全く気付いていなくて、よねさんの台詞を聞いて「そうだったのか…!」と思ったんですよね。でも轟の語りを聞いて「轟、めっちゃ花岡のこと好きじゃん…!!」と全くの違和感なく思うことができた。わかる…わかるよ…大好きだったんだね…となぜか直道さんのようになってる自分がいて、彼の表象は唐突でも不自然でもなんでもないよなぁと思ってる。ハーモニカの曲を聞きながらよねさんに少し背を向けて座る姿、「法廷で会おう」と言う花岡を思い出す回想、空のベンチを見つめる後ろ姿……そこにあるのは、恋……そして愛だよ…………!

私が1ミリも気付いておらず、「惚れた腫れたは死ぬほど見てきた」と言ったよねさんは、じゃあ轟のどこを見てそう感じたのだろう……と気になって記憶を辿った。するとハイキングで花岡が入院した時、飲み物を買ってこようと立ち去った轟をよねさんが確か意味深に見つめてるんですよね(録画を消してしまったので断定できないのですが…!)。ただのすれ違いにしては長い間だったので違和感があったんだけど、あの後特に回収されなかったし、もろもろで記憶から薄れてしまってたけど、もしかしてあの時から……? そうなの? よねさん…………!?!?!?


話を少し戻そう。

ずっとこれが欲しかったんだ 私たちは

これは自分たちの手で手に入れたかったものだ

戦争なんかのおかげじゃなく

よねさんの台詞ともうひとつ、私にとって感慨深い台詞がある。それは(50)ラスト、ライアンのこの台詞。

それにしても皮肉だよね

たくさんの犠牲を払ったあげく

戦争に負けて そしたら憲法が変わって

平等な社会に一歩近付いた

虎に翼の物語を追いかけて、(1)の冒頭を思い出しながら、私は少し不安な気持ちがあった。

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分 又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

憲法14条

基本的人権が書かれた日本国憲法は、その歴史をどう好意的に見ても、私たちが「勝ち取った」ものではない。戦争に負けて、ポツダム宣言に基づいて作られたものだ。日本は敗戦国だけど、ユダヤ人や朝鮮人のように迫害された民族ではない。私たちは、他人から強制されてようやく手にした「法の下の平等」と「基本的人権」でさえ、今手放すかもしれない瀬戸際にいる人間たちだ──そんな気持ちが、今も拭えずにいる。

だから、7週目、8週目と戦争が近付いて来たとき、私は不安だった。これまで明治民法における男女差別を、その対立ではなく構造の問題を書いてきたドラマが、戦争については悲劇的な部分しか書かないのか。従軍慰安婦を含む日本人がたくさんのアジア諸国に行った残酷な行為について、ほんの少しも触れないのか。

──「悲しい戦争の末に、ようやく手にした(見つけた?)基本的人権」という書き方をしてもいいのか──

よねさんとライアンの台詞は、私の不安を少しだけだけど否定してくれたような気がする。

この憲法は、「法の下の平等」と「基本的人権」は、私たち日本人がこの手で、自分たちの手で、手にしたかったものだ。私たちはそれらを手にしているけれど、それらを自分たちの手で手にする機会を「逃した」のだ。──そのアイロニーが、少しだけだけど書かれている気がした。

朝ドラ──連続テレビ小説──は、長い物語だ。1日1話、15分ずつしか進まない物語が、半年の間つづく。虎に翼は展開が早かったから忘れがちだったけれど、物語はまだ1/3と少しを過ぎたばかり。それだけ時間をかけて進む物語ならば、良いと思ってた部分が中だるみになったり、フラストレーションの溜まる描写が後のカタルシスになることは当然あると思う。今の「評価できる」も「評価できない」も、作品全体ではなく、今までの評価でしかない(作品の構成上、製作側はそれでも視聴者を惹きつける必要がある、という点は一時的に考慮しないとする)。

そういう意味だと朝ドラって結構ハイコンテクスト(毎日継続して見ら努力が必要で、最後まで見ないと全容が理解できない)で、見る人を限定するフォーマットのコンテンツだ。だからダイジェストや総集編で部分的にでも物語を追えるようにしてる。私もダイジェストや総集編だけで見たことにしてる作品、正直たくさんある。──というのは少し余談で。

よねさんとライアンの手放しで喜べない、皮肉のこめられた台詞は、私が今抱えている戦時中描写に関するもやもやも、これから解消されるかもしれないという期待を抱かせてくれる台詞だった。寅子には、よねさんには、轟には、まだやることがたくさんある。戦争はまだ終わってない。そんな気がして、明日からも放送が楽しみです。


もうちょっとおまけ的に書き足したいことがあったんだけど、こんな時間になっちゃったのでひとまず区切ります……一日置いたら一話更新されるから、今日書き終わりたかったんだけどネ……

そんなわけで最後、轟が去った後に寅子が来るシーン、音が出るくらい息を呑みました。

よねとどと寅子は再会できるのか?!

明日に続く!!(ドラマが)

@talia0v0
とりあえず気ままに。