図書館に行った時、こんなチラシを見つけた。
「識字・日本語 交流ボランティア入門講座」
詳しくないが、図書館には役所のように自治体の交流イベントやボランティアのチラシが基本的に設置されている。映画館に行った時に新しいフライヤーを眺めるように、図書館に行くとそのチラシを眺めるのだけど、その日はたまたまそんなチラシが目についた。
チラシを一枚、手に取ってみた。大きめのフォントで書かれた「〜入門講座」の文字の下には、こんな説明が書かれていた。
わたしたちの地域には、文字の読み書きや日本語の会話を学ぶ「識字・日本語教室」があります。
識字・日本語教室では、学習者と共に学ぶボランティア「学習パートナー」を募集しています。
一緒にはじめてみませんか?
講座の参加可否は抽選で決まるらしい。昨年度同じような自治体の手話教室に抽選で落ちた私は、ダメ元で応募して、見事当選して講座に参加できることになった。
2026.01.XX はじめに
3人掛けのテーブルが4×5列くらい並ぶ教室に、私が入ったのは授業の開始より20分くらい前で、まだ人はほとんどいなかった。出席者の名前確認の一覧には、ざっと20~30人くらいの名前が書いてあった。え、そんなに多かったっけ、とか、先頭に座ったら目立つかな、とか考えながら、前から三列目の真ん中に座った。仕事が終わってすぐに来たので、コンビニで買ったおにぎりを食べたくて、食べれる場所を探したりお手洗いに行ったりしてるとあっという間に5分前になった。戻ってきたら教室には、それぞれのテーブルに二人ときどき一人が必ず座ってるくらいには埋まっていた。
こんなにたくさん、ボランティアに参加しようとしてる人がいるんだ、と感動した。出欠確認の後にもらったプリントには「識字と人権」「共生社会づくり」とか「教育の機会の確保等に関する基本指針」と書かれていて、それを読んでいると教室内のBGMが米津玄師の「さよーならまたいつか!」になって、思わず泣きそうになってしまった。
参加者も、若い人年配の人、女性に見える人男性に見える人、様々だった。私の隣のテーブルに私より若くて溌剌そうな人が座っていて、目を引くA4サイズのトートバッグを持っていた。何度もチラ見して、そのバッグに「九龍城砦」と書かれているのがわかった。
この日の講師の方は二人だった。一人は識字日本語教室の制度や仕組みについての説明を、もう一人は実際の日本語教室での様子を語ってくださった。
印象的だったのは、二人目の講師による実際の教室の様子を交えたボランティアに関する説明だった。──識字日本語教室のボランティアというのはやろうと思えば誰だってできます。そして、やるからには責任もありますけど、ボランティアなんで、みなさんちゃんと休みたい時は休んでくださいね── 人の期待値で身を削りがちな私にとってありがたい言葉で始まった講師の方の説明は、ボランティアの“やりがい”などが語られるのではなく、講師の方の実体験に基づいた教室での様子と、いろんな生徒一人一人との個人的なエピソードの片鱗が語られた。
講師の方が昔教員として勤務していた中学校は荒れていて真面目に勉強する生徒が少なかった。一人の卒業生が「漢字の読み書きを教えてほしい」と助けを求めに来たけど、卒業生が現地の学校に来る気まずさに気付いてやれずに結局教えずじまいとなってしまったこと。自国で修士号を持つほど優秀なとある外国人学習者は、結婚を機に日本に来て英語の教師になりたいと思っていたけど、日本語が全く話せなくて教職に就けなかったこと。熱心に教室に通われていた学習者の方が、事故で亡くなってしまったこと。とある生徒さんが、講師の方の何気ない一言のせいでぱったりと教室に来なくなってしまったこと。
講師の方の話は、端々から生徒への想いやりが溢れていた。しかしそれは根っからのポジティブな感情というよりも、切実さや、未練や、悔恨や、迷いというものが感じられて、私は逆にその姿に好意を持った。(と書くと少し偉そうかもしれないと心配している。とにかく素敵に見えたのだ)
ここで、私がこの授業で体験したちょっとした後悔について書く。
授業の冒頭で、こんな問題が出た。
この中で識字・日本語教育に関係する作品はどれ?
東京サラダボウル
35年目のラブレター
愛の、がっこう
これはアイスブレイクで、隣や前後の席の人と答えを話し合って考えてくださいというものだった。私の隣の席の人は3つとも名前も聞いたことなかったそうで、私は『東京サラダボウル』だけ知っていたのでそのあらすじを説明した。そして「これは警察で働いてる通訳の人の話だから、少し違う気がする。わからないけど他のふたつにもっと近い作品がある気がする」と話した。
数分経って答え合わせの時、出題者(一人目の登壇者)の方が「じゃあみなさん、“これだ”と思ったものに手をあげてもらいましょうか」と言った。
私の(机違いの)隣に座ってた人が『東京サラダボウル』の時に手を挙げた。他にも1/3くらいの人が手を挙げていたと思う。
次に『35年目のラブレター』の時にも、その人は手を挙げた。そして最後の『愛の、がっこう』の時にも。
あ、そうか──と、ここで私はようやく出題の意図に気付いた。
『東京サラダボウル』は日本語がまだ堪能ではない外国人が巻き込まれる事件の話。
『35年目のラブレター』は読み書きができない男性が妻に手紙を書く話。
『愛の、がっこう。』は日本語の読み書きを教える教師と生徒のドラマ。
答えは、全部だった。
「答えは、全部です!」
登壇者の方がそう言った時、わっと教室に声が溢れた「え〜」「なんだ全部か」「やっぱりそうか」にぎやかな声に包まれる中、私は自分のことを恥ずかしく感じていた。知ったような口をきいて、柔軟に考えることができなかった。
私と同じテーブルの、一緒に答えを考えた人が「なぁんだ、全部だったのか」と軽やかに笑った。私はその人の笑い声にちょっとだけ救われたような気がした。
これから、こういうことが増えていくんだろうと思った。
2026.01.XX やさしい日本語について
講座の2回目、私は未だに腹ごしらえをする時間と場所を確保できずに困っていた。教室まで歩きながら見かけたコンビニでピザまんと温かいお茶を買って歩きながら食べる。なんだか学生時代に戻ったような気持ちになる。
2回目の授業は「やさしい日本語」についての授業だった。「やさしい日本語」が何かについては私が説明するよりも正しい情報が書かれてるリンクを貼りたい。
やさしい日本語は、実は阪神・淡路大震災の時から研究が始まっていたそうだ。当時は外国人を主な対象としたやさしい日本語だったけれど、近年は外国人と対象を限定しなくても「相手に合わせてわかりやすく伝える日本語」のことをやさしい日本語というようになっているそう。そうして研究が進められたやさしい日本語だけれど、行政はそれよりも早く公共施設の多くで多言語表記を採用した。私はこれが必ずしもダメだとは思わないけど、英語、中国語、韓国語、、、と道路標識や看板に言語を増やしていくうちに、文字が多すぎて全体的に何を書いてるかわからない、字が小さくて見えないという問題も生また。そんなわけで、最近になってようやくやさしい日本語が公的機関でも注目され始めたという経緯があるらしい。初めて知る内容でとても興味深かった。
この日はグループワークでやさしい日本語を使う練習を行った。3人のグループになって、支援者、学習者、観察者に分かれてロールプレイをするのだ。支援者の人がやさしい日本語を使えてるか、後にみんなでフィードバックするまでがロールプレイの1セットだった。
このワークはとても勉強になったのだけれど、学習者のロールプレイが意外と難しくて、私のグループはそちらに関心が行ってしまい、支援者のフィードバックがなかなかままならなかった。それでも私のロールプレイでは支援者の役が最後の三番目に来たので、みんな少し慣れた頃にできたのが良かった。
やさしい日本語で印象的だったのは、「ですます調は使っても敬語は使わない」ということだった。日本語学習者はですます調を最初に学ぶけど、敬語は学ばない。それに敬語は日本語を母国語にする人でも間違えるほど難しい。だから「何をされてるんですか?」でなく「何をしてるんですか?」、「どこにいらっしゃいますか?」でなく「どこにいますか?」と簡単な言葉で話すのがやさしい日本語で必要なことだと言われた。他にも、「筆記用具以外は必要ではありません」ではなく「ペンを持ってきてください」など回りくどい表現は避けるようにと教わって、意外と難しいなと思った。
2026.01.XX 人権のはなし
2回目の授業の最後、「次は人権についての授業を行います」と言われて、私は楽しみで仕方がなかった。
この講座が、実際のボランティアのノウハウはもちろん、多文化共生や人権に根差した講座であることは初回から伝わっていた。だから私は、この授業で人権についてどんな話を聞くことができるのか、それに関して私以外の受講者はどのように考えるのか気になって仕方がなかった。
講義はまず初めに、「この講義の内容は、七割くらい納得してもらえたらそれで良いです」という前置きから始まった。その前置きの意図になんとなく共感したり、漠然と不安に思いながら耳を傾けていると、説明は「何気ないけど避けた方がいい言葉」についてから始まった。
例えば「主人/奥さん」という言葉について。この言葉は、実は2回目の「やさしい日本語」の授業中に質問されて、講師の方が「よく知られている表現(だから使っても良い)」と回答していた言葉だった。その回答を不安に思ったのが私だけじゃなかったのか、3回目の授業は「主人/奥さん」という言葉の説明から始まった。
実はこの言葉は、数百年前から使われている古い言葉かというとそんなことは全然なくて、たかだか1950年くらいから使われ始めた言葉らしい。とある研究をされている方が、当時の新聞を遡って読んで、どれぐらいの時期にどんな言葉が使われるようになったか調査して明らかになったそうだ。ちなみにとある中国の学習者の方は「私は夫を“主人”だなんて絶対に呼びません」と怒ったそうだ。「“主人”て中国語で“持ち主”のことだし、私だって外で仕事をしているから“奥さん”じゃありません」と。
更には「旦那」という言葉も、「布施をすること、布施をする人」という仏教用語から来ているらしかった。これと同じ語源を持つ単語に“donor(臓器提供者)”,“donation(寄付)”という英語があるらしい。これについては聞いた内容だけでは自信がなかったので検索してみたら、同じ内容がNHKのサイトに載っていた。
「旦那」という言葉が「他人に施しを与える人」から来ていると意味がわかると、確かに使いづらいなと感じる部分がある。余談だけれどNHKのサイトには他にもいろんな日本ならではと思っていた言葉が外国に語源を持つ言葉だったりして、「ニッポンの歴史」とはなんたるかと可笑しみを感じることができる。
「人権の講義」といっても何を話すんだろうと思っていたけど、説明は主に「ボランティア(支援者)の人権意識」についてだった。ボランティアに参加していても問題行動をとってしまう人はいるようで、過去にあった事例として挙げられたものはなかなか閉口してしまうものだった。ボランティアが学習者(当事者)の前で賤称語や差別語を発する、ボランティアが学習者にストーカー行為をする、「外国人増加は治安悪化を招く」などの文書を配布する。最後に関しては完全なる悪意(もしくは“純然たる”“善意”)でしかなくて絶句する。
次はグループワークの時間だった。このグループワークについては、細かく書くと長くなりそうなので概要をかいつまんで説明する。
ざっくり説明すると、「自分の“生まれながらの属性”についていくつか考えて、その属性のひとつを使って自己紹介をしてください」というものだった。例えば講師の方だと「私は男だけど、子供の頃は小柄で弱虫で“男らしくない”と馬鹿にされながら育った。でも大人になって就職すると、自分が“男性である”ということで“下駄をはかされている”現実に気がついた。」といった感じだ。“生まれれながらの属性”についての辛い経験や得した経験について話してほしいとのことだった。
グループワークのメンバーが一通り自己紹介し終わった後、“生まれれながらの属性”についての例がプリントで配られた。そこには「マイノリティ/マジョリティ」の形で属性が数種類書かれていて、「右の属性に当たる人で、自分の属性そして右側のものを書かなかった人は何故か?」という問いがかけられた。この属性の例示については素直に勉強になったので、そのまま書かせてもらう。
①女/男
②障害者/健常者
③同和地区出身/地区外出身
④アイヌ民族/和人
⑤外国人/日本人
⑥同性愛者/異性愛者
⑦トランスジェンダー/シスジェンダー
このグループワークでは、「言いたくないことは“パス”して良い、話した内容は“守秘”義務がある」というルールが事前に共有されていた。(そのルールがどれだけ誠実に守られたかは各グループに依存するが、)そのように“生まれながらの属性”を公表したくない人の心理的安全性を意識した上で、「何故自分のマジョリティ属性に自覚的になれなかったか?」という問いと向き合うことがグループワークの目的だった。グループワークの後は、“マジョリティ特権”についての説明がなされた。
かなり割愛して説明したので、講義のニュアンスが正しく伝わっていることを願う。
グループワークの主旨を理解した上で、正直私はこのグループワークに緊張しながら挑んだ。私には、このインターネット上でもあまり表出させたことのない“生まれながらの属性”がある。もちろんみんながボランティアの参加者だからってこんな初対面の人しかいない場所でそれを表出させたくない。でもその自分の属性についてマジョリティであると嘘を書きたくもない。ありがたいことに講師の方の最初の例で、自分の属性について誤魔化したまま自己紹介ができたけれど、グループワークで一緒になった人の雑談中の言葉が印象的だった。
その人は私より年配の方で、序盤の「避けた方がいい言葉」や「ボランティアの問題行動」の説明について「難しい」と感じたそう。「自分が子供の頃に当たり前に使ってた言葉にも、差別語や賤称語と今みなされている言葉がある。それをいつ使ってしまうかわからなくて怖い」。そして「差別は無くならない」ともその方は言っていた。
五年ほど前の私なら、この言葉を聞いて失望と怒りが胸に溢れたと思う。今この長い記事を読んでくれている方にも、同じ気持ちになった方がいるかもしれない。あなたのその怒りと失望に大きな感謝を示しつつ、私は何故か少し俯瞰した状態で「(今の年配の方にとって、いわゆる“ハラスメント”をしないということは本当に難しいんだな)」と考えていた。
もちろん、その参加者と同じ年代の方がみんな同じ考え方をしているとは思わない。私から見て、その参加者の方と講師の方は、同じくらいの年代に見えた。この長い日記を読んでくださってる人の中にも、同じ年代の方がいらっしゃるかもしれない。
ただ、このような言葉を聞いたのは今回が初めてではないし、先ほどの絶句するような「ボランティアの問題行動」を聞いた後だったし、この「識字・日本語 交流ボランティア入門講座」に参加する人でさえ、そのような考え方をしてしまうんだということは、妙にこの問題の根深さについて納得感を持たせたた。
何より「(私だっていつ間違った言動で誰を傷つけるかわからない)」という気持ちがずっと心の中にある。
グループワークのメンバーはその方を含めた年配の方が二名、私とほぼ同世代の方が他に一名の四人グループだった。グループの中で「差別が無くならないとしても、差別をしていいことならならない」「思ってしまうことがあっても言ったり行動に出さないことが大事」「もし間違ってしまっても、“今のは良くなかったよ(ダメだよ)”と仲間内で是正し合える関係性づくりが大事」という話をした。特に最後については全員納得するように頷いていて、グループの雰囲気も少し丸くなって私は内心ホッとしていた。
──もし誰かが間違ったことを言っても、是正し合える関係性が大事──
これは本当にその通りだと思う。
ちょうど先日、こんな記事を見かけた。
私が見たのは朝日新聞の有料記事だったけれど、ここでは誰でも読めるように無料版の記事を紹介する。
差別的な言動を目に、耳にした時、「それは差別ですよ」と言って相手が反省してくれたら一番理想だけれど、全てのケースでそう上手くいくとは限らない。間違いを指摘された時、自己防衛で頑なになってしまう人もいると思う。そうなると指摘した側もより口調が強くなって、望まぬ対立関係を生んでしまうかもしれない。
グループワークでは、“パス”と“守秘”の他に“イタイ!”というルールがあった。
これは、フェミニズムや反差別の文脈でよく聞く「足を踏まれた人の痛みは、踏まれた人にしかわからない」に基づいたルールだと推測できる。もしグループワークのメンバーに差別的(もしくはそうでなくても失礼なこと)を言われた時、「それは差別(/失礼)ですよ」と言っても良いし、「あなたの言葉で私の心は痛みました」と伝えても良い、というニュアンスだった(正確に覚えれてないかもしれなくて申し訳ない)。
他にも最近読んだ本に、「アクティブバイスタンダー(行動する傍観者)」という言葉が載っていた。
当時は思い出せなかったが、『Black Box Diaries』の舞台挨拶の時も、「行動する傍観者になろう」という話が出てきたのをふと思い出した。
相手の言動が差別的であることの伝え方は、ひとつじゃない。
話が脱線しすぎたので講座の話に戻すけど、講座で内容はあくまで「ボランティア(支援者)のマジョリティ特権について」であった。そして講座は全部で五回予定されていて、この人権の回は五回中三回目の授業だ。四回目は実際に日本語教室に見学に行ったのだけれど、その話はまた次回にしたい。そう、このブログは最初に①と書いてある通り、②を書くことを想定して書いている。③を書くかはまだ決めていない。
最後に、三回目の人権の講座で引用されていた、日本語教育学会元副会長神吉宇一氏の言葉をここでも引用して終わろうと思う。前半が少しクセのある文章なのだけれど、後半がすごく良い言葉ですよね、とグループワークで一緒になった人と話したのだった。
●日本語教育の在り方
道具主義的日本語教育という旧世代の権威的おじさんが、Can do というモダンな服を着て登場し、「私のいうことを聞いたらお金をジャブジャブあげるよ」と私たちの耳元で囁いています。その囁きに対してオルタナティブを提示するために、ことばを学び使うことが、人々の自立や自由につながること、ことばを通して私たちは関係性をつくり社会をつくっていっていることを、改めて意識する必要があるのだと思います。何かができるようになることももちろん大切ではありますが、より大切なのは、人々がことばを交わす関係性をつくり出していくことだと思います。