岡真理さんの『彼女の「正しい」名前とは何か』を読了しました。
リアルの友人と有志でつながったメンバーで開催する読書会の、1月のテーマ本でした。
個人的にかなり満足度高く読み終えて、読書会もほくほく会話しながら終わることができました。少なくとも私は。
以下は、本の感想ではないけれど、読んだからこそ気付いたことをつらつらと書き留め。
一時期、物語を消費することに疲れて動物のドキュメンタリーを見始めたことがあった。
その時たまたま選んだのはラッコの母娘のドキュメンタリーだったのだけれど、「母親より一回りも大きくて凶暴なオスに母が襲われ娘と引き裂かれる」という話だった。それを見て「動物のドキュメンタリーが見たかっただけなのに、何でこんなドラマ見させらなければならないのか…」と辟易したのを、この夜中急に目覚めて思い出した。
読み終わったばかりの(そして並行して読んでる)岡先生の本について考えながら寝てたから思い出したのだろうけど、あの辟易は予期せぬタイミングで物語の暴力性を見せつけられたことに対する辟易だったんだなとその時急に理解した。
岡真理は徹底して表現すること、表象することに対して批判的で、それだけ汲み取ると読者が何かを表現することに対して影響を与える本といえる。けれど、自分はそれと同時に自分が見るもの、消費するものに対して今後強く影響を受けそうと思った。実は、すでにここ数年で変わりつつあるんだけど。
例えば些細なきっかけとして、最近、20代の頃は観てなかった史実をもとにしたドキュメンタリーや自分が知らない国、地域の表象がメインの作品に興味を持って見始めるようになった。そうすると、嗜好はもちろん、純粋な機会損失を恐れて、上映終了後に動画サービスで配信されないような上映作品を進んで見るようになった。
つまりは映画館で見る機会を逃しても配信で見れそうなビッグネームな作品を、私は意図的に諦めるようになっているのだ。それに加えて、今後は更に<出来事>のリアルな再現性を避けるという形でビッグネーム作品を避けることに拍車をかけそう…と思うなどしたのでした。
加えて書くと、彼女はスピルバーグの『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』、『カラーパープル』を例に、他者が受けた暴力的な<出来事>のリアルな再現努力を徹底して批判している。
それはもはや否定に近い側面もあって、私は彼女はスピルバーグが嫌いなのだという第一印象を持ったのだけど、よくよく考えたら上記三作を全て見てる上にインディジョーンズも見てるっぽいので、逆にめちゃくちゃ好きなのかなと思うなどもした。
これはどのコミュニティでもそうだけど、批判と否定は別物であって混同されるべきではないものなんですよね。気をつけたい。
加えてちくちくしたこと言うと、映画やドラマといった映像作品がざっくりと学術的な観点から批判されることを「好きな作品を否定された」とすごく嫌がりながら、ある一定のボーダーラインを下回る作品について好んで「クソ映画だ」と否定して楽しむ空気からは積極的に距離を置きたいですね🐝
上記の文章は、私が明け方5時に急に思い立って寝付けなくなり、旧Twitterのかわりに使い始めたBlueskyに投稿しようと衝動的にメモ帳に下書いたものです。書いて満足したら寝ようと思って少しずつ書いて、結局これだけ書き出すまで満足できませんでした。更に「これはBlueskyではなく最近見かけた"しずかなインターネット"なるブログサービスを使う大チャンスでは?」と思って続きを書こうとしている。現在時刻およそ8時。
さて、ここからが本題
私が岡真理先生を初めてお見かけしたのは2023年度イスラーム映画祭でした。
それより前に、読書会でも馴染みの友人が「岡真理の本にハマっている」と言っていたのを覚えているけれど、実際に彼女の存在を認知したのは2023年の映画祭です。
その後、友人の熱烈な岡さんに対するプレゼンを聞き、次に彼女をお見かけしたのは、10/23の『ガザを知る緊急セミナー』でした。
ハマスによるイスラエルへの反撃、そして続くイスラエルによるパレスチナへの襲撃のニュースを知って、このセミナーにオンラインで参加して、おそらくこのニュースに胸を痛めている多くの方々と同じように、私の生活は黒い影が差したものに一変しました。
それは、2021年ロシアがウクライナを襲撃した時も同じでした。ニュースに胸を痛め、黒い影が差し込んだ私の生活は、しかし無情にも少しずつ月日を経て持ち直していました。
そしてその後、『ガザを知る緊急セミナー』で岡先生が発した言葉を、私は忘れることができません。
「必要なのは人道的支援ではなく政治的解決である」
「忘却が次の虐殺を準備する」
ひとつ目の言葉にある人道的支援の中には、寄付も含まれることを岡さんは述べていました。
断わっておきますが、ひとつ目の言葉は人道的支援を否定するものではありません。しかしパレスチナの現状を解決するためには、極めて不充分であると言っています。
加えて、ふたつ目の言葉です。この言葉が私にとって重要なのは「忘却」を批判してるのか否定してるのかの判定ではなく、「忘却が」「虐殺の準備をする」のだ、という事実です。
ニュースに胸を痛め、黒い影が差し込んだ私の生活は、しかし無情にも少しずつ月日を経て持ち直していました。
私が先ほど書いたこの持ち直しは、間違いなく「忘却」によるものでした。
私はロシアによるウクライナの襲撃のニュースに胸を痛めると共に、そのニュースを忘却してしまったのだと。そしてイスラエルの襲撃のニュースも、忘却しようとしているのかもしれないと、彼女の言葉を聞いて痛感したのでした。
それからの日々を、私はあまり覚えていません。
忘却した、という意味ではありません。また、廃人同然だったわけでもありません。カレンダーから思い返すに、私は適度に友人と遊び、映画を観て、仕事に追われています。
しかし、「忘却が次の虐殺の準備をする」という事実が、そして私が「忘却した」という事実が、そして今も尚ロシアによるウクライナの襲撃が、イスラエルによるパレスチナへの襲撃が続いていることが、私の生活を黒く覆いました。
そして私は、今回これを取る術を持ち合わせていませんでした。なぜなら前回私の黒い影を弱めてくれたのは「忘却」で、私は「忘却」することに強く抵抗したからです。そして私は今も尚、地球の反対側で誰かが不条理に殺されているのだという実感を持ちながら生活することを選びました。
それはとても苦しいものでした。
私の苦しみなんて、戦場で実際に被害を受けている人々のそれに比べれば足元にも及ばない──そう思いながら、私の心は壊れそうでした。
壊れずに済んだのは一度仕事の疲労で心を壊しかけていて、その時のストッパーがまだ機能していたからでした。
しかし、このままではいつか私の心は壊れてしまうかもしれない。そんな不安が毎日どこかしらにありました。
本を読んだ話に戻ります。
私は彼女の講演を聞いて、本(『物語/記憶』)を読んで、どうしてああも強靭でいられるのだろうと思いました。どうしてこれだけの絶望と不条理を前にして、心を病まずにいられるのだろう、と。
その強靭さの片鱗を、私は『彼女の「正しい」名前とは何か』で感じました。
「書く」ということは特権的な行為である。書くものは書くことによって自己のみならず他者を表象し、そしてそれは他者を一方的に表象するという暴力的で支配的な行為でもある、と筆者は語る。
そしてそれは「語る」ことにおいても同様である、と。
それは反レイシズムや反フェミニズム、あらゆる人権主義、そして連帯に反対しているわけではない。
しかし批判され続けるべきとは言っている。
https://bsky.app/profile/talia0v0.bsky.social/post/3kjvgiuw24c2i
「私」がとる特権的な行為は批判され続けられるべきである。しかしそれは決して否定ではない。しかし「私」はそうしてアイデンティティを脱臼することこそが、他者と関わる意味なのだと。
それは、私が「忘却」することと同じくらい恐れていた「間違える」ということに対する応答(誤配?)でした。
「間違える」ことに対する応答は否定ではない。それは批判であり、それによって得るものは失墜ではなくアイデンティティの脱臼である。だから、書け、語れ。己が他者と関わるために。
本の内容はいろいろな行動指針を見失いつつあった私を強く勇気づけてくれるものでした。
そして迎えた読書会で、私が思ったことと、全く同じことを考えている友人がいました。
「これだけの絶望と怒りを前にして、己の特権と暴力性に向き合いながら、どうして心を病まずにいられるのだろう」
友人たちとの会話は、私の個人的なものとして省略いたします。が、結果的にその解を、私は別の(岡真理の熱烈なファンである)友人の言葉から得た気がしました。
「きっとそれを実現しうるのは、どれだけ世界に絶望しても、怒っても、毎日ごはんをおいしく食べて寝れること」
──どれだけ世界に絶望しても、毎日ごはんをおいしく食べて寝る──
改めて書き起こすと、とても当たり前のようなことが、その時の私には初めて、乾いた土が水を吸い込むように、するりと自分の中に入ってきたのです。
また少し話が飛躍するのですが、私は拒食症ではありませんが、思い悩むと食を抜いてしまう人間です。
特にここ最近は、平日在宅中の朝食、昼食が面倒で、お腹が空いてもプロテインやスープ、スナック菓子など片手で食べれる細々としたものでやり過ごす日々が昨年末から続いていました。
限られた時間しかない仕事の前後を、食事を用意することで制限されたくなかったからです。
夜寝る時間も安定しませんでした。
考え事をして寝付けず、平日にもかかわらず夜中の2時3時まで起きることもありました。
土曜日はそれ以上に寝れなくて、それが平日の稼働に悪影響を与えていることは明らかでした。
それでも、夜寝る前、そしてベッドに横になってから、自己嫌悪に等しい考え事をせずに眠りを、もしくは朝を迎えることはできませんでした。
きっと無意識に、それがある種の「間違えない」ことであり「忘れない」ことだと思ってしまったからです。
しかし、そうでないと気付くことができました。
その気付きを、本を読んで、読書会を通して教えてくれた『彼女の「正しい」名前とは何か』は、これからも定期的に読み返すだろう、私にとって大切な一冊です。
そしてこれからは、
これからも、
ウクライナの、パレスチナの現状に怒りながら、戦争と虐殺に反対しながら、
ここでは書かなかった世界の、日本のあらゆる差別に反対しながら、
どれだけ世界に絶望しても、怒っても、
毎日ごはんをおいしく食べて寝ることも忘れないでいようと思います。