今年の夏は地球上12万年ぶりの暑熱、という報道を見て現生の人類はおろか生物の大半が体感した事のない夏だったと知った。 そんな暑さ以上に、なかなか終わりのないことが私たちを脅かしたように思う。けれど台風の生じるごとに秋はやってくる。
スーパーマーケットで一袋だけ売れ残っている栗をみつけた。並ぶなり売れていった最後のひとつというわけだ。あまりに丸くころころとしたフォルム。迷うまでもなくかごに入れた。 茹でる手間を思えば常時手に入れられる皮のないパッケージにすればいいが、それはもう、最後のひとつ、というだけでほしくなった。「リトルフォレスト」という漫画に登場する栗の渋皮煮を真似したかった。 (けれど実際にそれに倣おうとすると本当に手間なので炊飯器に放り込んで炊いた)
あたたかいうちに全部皮を剥けばいいが、そうもいかない。 ひとつふたつはそのまま皮を剥いて食べて、休日の朝に一息に皮剥きする。 あくぬきもすべきだろうけど、それも手間だ。 夏場に衝動的に求めたマーマレイドのあまりをすっかり瓶からあけて、塩をひとふりしてレンジで加熱。冷蔵庫から出す度に甘くなっている事を期待する。 一気にじっくり、ということができたらいい。 けれどなかなかそれはかなわない。 ただその都度温めて、その都度砂糖をくわえたりもして。
今つきっきりの小説も、実はそんな具合にやっている。 繰り返し、繰り返し。 そういう風にやっているのです。