冷凍されるべきお肉がなんだかやわらかいなと思っていたら冷蔵庫が壊れていた。そうかあ、壊れたのか。慌てるよりもがっくりときた。
身内から譲り受けたもので、製造年は丁度自分が生まれた年だった。つまり昭和生まれ。平成の間、ずっと稼動していたと考えるとものすごい長さだ。環境への配慮という観点からは褒められたものではない。違法ではないけど。
壊れたら買い換えようとは思っていたけれど、魔法か? というくらいに壊れなかったのだ。実際壊れるとなると、これほどまでそばにいたものが、と切ないことこの上ない。きっとこの長い時間の間に私にパートナーなり何なりの家族ができていたら手放していただろう。全うしたんだなあ、ありがとう! という気持ちと、様々な意味での無念。けれど純粋に感謝しかない。
昭和の家電の底力を見せ付けられた。昔のものほど長持ちするといいたいのではないけれど、技術力が高すぎて、つまりモノがよすぎると買い替えが行われずその分野は技術も経済も廃れる。だから法令やしくみを変えて従来の技術を違法にして無理に買い替えを促すんだよ、と昔の勤務先の人から教わったことがある。本当だったんだなあ。恐ろしいほど頑丈だった。
とにかく、目の前の肉が既に柔らかいわけだ。10月の気温と大きめの保冷材に助けられて、完全に解凍されきっているわけではない。いやなグレーゾーンだが捨てるか否か思案する。何はともあれここまで食物を守りきってくれた冷蔵庫だ。その冷蔵庫が持ち主を裏切る事はあるまい(?)。
卵も肉もチーズも使いきってしまわないと!
大量にあった紫蘇とひき肉を炒めた。卵はいり卵にして、茹でて。
どんな家でも冷蔵庫が壊れた晩の料理は豪勢になるのだろう。他界した猫の額を冷やしてくれたお菓子用の保冷材も取り出す。猫三匹と暮らしている間も、ずっと一緒に守ってくれた。
切ないのは、夏場に冷蔵庫の買い替えを検討していたことだ。夏場は霜がついて放置すると冷凍庫の中で南極ができるのだ。以前はその霜を落とすのがストレス解消だったり楽しかったりもして、最早年中行事になっていた。けれど、2023年の夏はSFレベルで暑かった。そして、その暑さが続くと知って、のんきに霜をけずっている場合ではないなと思いはじめたのだ。
その矢先に。
あまりにも長持ちしたことに加えて、まるで持ち主の心を読み取ったかのようなタイミングで機能しなくなった。総じて実際魔法がかかっていたのかもしれない。それをといてしまったのは自分なのかもしれない。
前代未聞の暑さを一緒に乗り切ってくれたところだった。夏のさなかだったら落ち着いて対処できなかったはずだ。その点でも見事だった。
やはり魔法だ。買い替えしたらもらえる条例の商品券につられてしまった。あんなに周りの人からわざわざそういうしくみにしているのだと教わっていたのに、信仰を失った途端に。
大量の紫蘇をひき肉と一緒にかきこみながら、つらつらそんなことを思った。