レーモン・クノー『文体練習』④

tamon
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31・……た

午後一時、劇場内が暗くなった。咳払いが一つ響いた。いよいよ始まる、という期待が満ちていた。その雰囲気が落ち着かなかった。

舞台は無人だった。素っ気ない空間だけがあった。しかし、何かが始まる気配はあった。壁に影が映った。役者の足音はまだ聞こえなかった。

32・……ていた

辺りが暗くなっていた。役者はどこから出てくるのだろう、と観客は周囲を見回していた。

大多数の観客は舞台を眺めていた。椅子と机があるだけの空間に、それぞれの想像を巡らしていた。壁に影が映っていた。役者の足音が今にも聞こえそうな気がしていた。

33・アレクサンドラン

場内の 明かりが消えて 客席が 静まり返り/咳払い 役者はどこに いるのやら 上手か下手/分からない 不安いっぱい 観客の 視線は自然/舞台上 椅子と机が あるばかり 変わったことは/起こらない ように見えても 揺らぐ影 役者のものか/なんなのか いずれにしても 待っている 始まるときを

34・同一語の連続使用

場内が暗くなり、ホモサピエンスの声が静かになった。ホモサピエンスの期待が充満している。ホモサピエンスはホモサピエンスがどこから出てくるのか気になっていた。

目の前の舞台にホモサピエンスはいない。あるのはホモサピエンスが使うパイプ椅子と机だけ。しかし、ホモサピエンスは気付く。壁にホモサピエンスの影が揺らめいている。ホモサピエンスの足音はまだ聞こえない。

38・俺はね

俺はね、客席にいたんだよ。でも俺はね、どうでもいいと思うんだよ。役者がどこから出てくるなんてさ。そんなこと聞いてどうしようってんだ?ええ?

まあでも俺はね、見たよ。この目でしっかりとね。全部で三人だったかな。女ばっかりだったね。キャッツアイじゃねえか、なんて俺はね、思ったんだけど。もう古いか。まあ俺はね、とにかくその場にいたんだよ。本当だって。

39・感嘆符

おやっ!暗くなったね!静かにしなきゃいけないね!おっ!役者が出てくるよ!いや!気のせいだったね!どっから出てくるんだろうね!

あっ!パイプ椅子があるよ!机もだ!でも始まらないね!えっ!なにが見えるって!へええ!影がねえ!壁にねえ!

40・あのー

あのー、暗くなると客席が静かになりますよね。それであのー、まあそわそわし出してね。あのー、まだ始まらないかなって言ってね。あのー、どっから出てくるんだって言ってね。あのー、待ってたんですよ。あのー、客席で。

で、舞台はあのー、無人でしたね。誰もいなくて、あのー、椅子と机しかなくて、あのー。壁にね、あのー、影みたいな、あのー、それはありましたね。足音はあのー、聞こえなかったかなーっていうか、あのー。

@tamon
レーモン・クノーの『文体練習』をやっています。全部は無理なのでやれそうなものだけ。基本形の文章はこちらの短編をぎゅっとしたものです。kakuyomu.jp/works/16817330656894645885/episodes/16817330656894686470