自分が意思決定を行うタイミングと方法

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DELTAには超優秀なCOOがいる。

同じグループにあるどの事業部よりもそれは恵まれていて、というかグループ全体の経営企画部のナンバー3ぐらいの奴をフルタイムでコミットさせているのでグループ内でいったらチートと言われても文句はいえない。

FY2023の売上目標である1.5億のうちリアルに1億ぐらいは彼がチャンスメイクして発生したものと言ってまったく差し支えないし、組織作りや事業計画の精緻化、採用なども見てくれている。正直ほとんどの実務面では自分は彼の下位互換でしかない自信がある(下位互換どころか、ところどころそもそもできない分野もある)

なので実際にはいわゆる社長業の中でも多くの仕事をやってもらっているという状態ではあるのだが、本当にBoldかつクリティカルな意思決定については自分がみずから行っているのかもしれないということを思った。

そして、そのときは多くは、彼からこれこれこうしたらいいのではないか、という提案を受けたときに、自分でも驚くほど納得がいかず、とはいえこうしたらいいよ、とその場で返すことができないまま、その打合せの場で黙り込んでしまうということがまず起きる。

その時、自分としても別に怒っているわけでもないのだが、ただ黙ってしまう。どうしたらいいのかなあ、なんて言うこともある。

そしてその後数日から一週間ぐらい、そのことをぼんやりとどこかで浮かべながら、要はデフォルトモードネットワークを働かせながら思いを馳せる。

そして、いくつかのドットがつながった段階で筆をとり、「xxについて」という短いタイトルのgoogle docsを開き、だいたい最終的には5ページから20ページぐらいの長文で考えたことを背景から考慮したこと、最終的な意思決定の内容までブログのような形式で一気に書き上げる。

(普段エンジニアとしてはむしろ手が早いほうで、基本的には下書きもせずいきなりコードを頭からガリガリやりながら素早くフィードバックして結果を出すタイプなのだが、こういう経営判断のような場面では全く違うやり方で、基本的には「熟慮」を前提としているのが自分でも面白いなと感じる)

そして、多くの場合、そこで書いたブログは自分で後で読み返してもいいことが書いてあると思うし、実際意思決定の方法としてかなり自分の性にあっていると感じる。

それが正しい行いだったかどうかはまだわからないが、どちらにせよ一度意思決定したことは変えるか、あるいは正解にするか以外ないので、まずは決められたことと、その背景を説明しきれる状態になったということが重要だと思う。

それが今日もあった。今感じている問題をすべて一つの文章の中で繋げて論じ、本当に大切にすべき方向性をひとつ示す、という行いだったと思う。

その中の一節を引用してこの稿はしめくくりたい。

This may sound exploitive or look like a kind of  “やりがい搾取” story-telling thing, but you have chosen to be here and in the end at anywhere you would encounter some kind of hard things sometimes.

It’s nearly impossible for you to choose whether you encounter hard things or not. You only can decide how you greet them; Either you just curl up yourself and curse things you can’t change or you embrace them and stand up and fight proudly.