占いに行った話

tanakayade
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少し前に占いに行った。一月も始まったばかりのことであったので、なかなかスピリチュアルな年の初め方であったと今となっては思う。行ったのは自主的ではなく、まあ人と会った流れで。久しぶりに会った友人たちが行ってみたいというので、特にやることもないし同行してみることにした。1000円で他人に人生だかなんだかついて語れるのなら、まあ安いもんかもなとも思ったのだ。ちなみに以前夏くらいにも同様の流れで占いに行った際は、赤いパンツを履けと言われた。後は特段興味もない恋愛ごとのアドバイスばかりであったためか、もうその内容を明瞭には覚えていない。

占い、というとまあ一般的には水晶玉を覗いたりだとかタロットカードを捲ったりだとか、まあそのあたりのイメージが普及しているのだろうなと思う。実際私の中のイメージもその程度のものである。タロットカードだけは寮の先輩が所持していて時折占ってもらったり、はたまた占わさせられたり(なかなか見かけない日本語だ)するので、少しだけ多分他人より詳しいけれども。まあそれでも何ら専門性を有していない高々齢二十にも満たない小娘の知識だなんて、たかが知れているものである。

今回担当していただいた占い師さんは、何というかおっとりとしたお姉さんといった印象の女性だった。占いの形態は生年月日と名前から様々な数字を導きだし、それの示すところからを様々を見るというもので、さっきホームページを確認したところ「OSHO禅タロット」というらしい。何がOSHOで何が禅なのかはさっぱりわからないが、なかなかユニークな響きである。OSHO禅タロットで未来を占ってもらいました、というと途端に胡散臭さが増すような気がしないでもないが、まあとにかくこのOSHO禅タロット占い師さんに様々を相談させていただいた。

友人二人は恋愛相談をしていたのだが、私は持ち前の良くない癖から少しぶっこんでやろうと思い立ち「恋愛も結婚も出産も興味が無いというかする気が無いんですけど……でもこの先一生孤独で生きていくのは悲しいので……今縁のある人たちとずっと長く付き合っていくにはどうしたらいいんですかね……」と困り顔で尋ねた。占い師さんは「うんうんうんうん」と一頻り頷いてくださった後、何一つ手元を動かさずに真顔で「まあ、出会いもあれば別れもあるからね。今めちゃめちゃ親しくても合わなくなる人もいっぱいいるし、それは当たり前。今そこを心配してても意味ないよ」と至極真っ当なことをおっしゃった。衝撃だった。占いに来たのに占いを介さずに順当に説教をされた。

占い師さんは上述した通り、名前と生年月日を元に様々な資料と照らし合わせて私という人間を導き出そうとした。名前は見た感じ画数から様々を判断できるようであったが、まあ素人目にはよくわからない。

言われたこととしては

・リーダー気質

・面倒見がいい

・頭がいい

・気が回る

・行動力がある

・人の上に立つ人

・意外とここぞというときに頼りになる

・ものすごく人情家

・しかし冷たく見られやすい

・行動力がある

・人望が厚い

・仲間を大事にする人

・相手を尊敬し相手から尊敬されたい気持ちや、周りを引っ張っていきたい気持ちが強い。

みたい内容だった。これが名前と生年月日から読み取れるってマジ?という感じだが、「結婚はそうやね……あんまり積極的ではないよね……」と言われたのには肯定を返さざるを得なかった。逆に言えば他はそんなに当たっていないような気もする。私はここぞというときにドジってクソでかいミスを起こすタイプの人間である。

自分のコミュニティをすごく大切にする人ね、と言われたあたりからいよいよ本題に入った。まず占い師さんはそれを主張した上で、「でも大切な人をずっと抱え込んでおくってことはできないよ」と私を諭した。順当な説教である。順当すぎるが故に普通に落ち込んだ。そんなことはわかっているが、それが認められないからこんなに人生に苦しんでいるのに。

「貴方は自分が頼られたら絶対に裏切れない人だから、あなたの周りに人は集まってくると思うけど。ただあなたがあまりに大事にしすぎて、羽の下に仕舞いこもうとしても……でも人によってはそうやって尽くしてもらったのに、急にバイバイってあなたの元を去っていく人もいるの」という言葉はただただ胸が痛かった。なぜ私は占いに来てまでこの世の摂理みたいなことを説かれているんだろうと思った。そのあとの占い師さんの「でもそれはもうしゃあないよ!」という何の励ましにもなっていない声掛けもきつかった。どれだけ大事にしても去って行かれちゃうの悲しすぎるしそもそもおかしいだろ、と思ったがさすがにその場で逆ギレはできなかった。

受け入れられる人間の数には限りがあり、抱え込んでいた人間が出て行ったところに新たに人が入ってくるのだと教えられた。ずっと同じ人を抱え込んでいくことはできないからね、と釘も刺された。そこで私は思わず「私は生涯人をとっかえひっかえしながら生きていくってことですか……!?」と尋ねてしまったのだがそれすらも「もちろん! 誰でもそうよ」といなされてしまった。みんなそうなのか……と思った。私は大事な人間を生涯抱え込んでおきたい人間だからである。「今だってそうでしょ? 学校変わったりしたら前仲良かった子たちとの関係性も変わったでしょ?」と聞かれたのに「うーん……別に……」と返してしまうくらいには私は友人をホールドし続けている。みんなごめん。離れないでくれ。

占いの終盤、貴方のこれからの人生は多分いろんな人の面倒を見ていくことになると予言をされた。だから来るもの拒まず去る物追わずで生きていきなさいとも。そうすれば孤独死せずに済みますか、とおそるおそる尋ねたら曖昧に微笑まれた。怖い。人に尽くして生きても孤独死する可能性があるんだとしたらあんまりすぎないか。

「私はこれからの人生、人に尽くして生きていくのみで、誰かから尽くしてもらえることはないんですかね」と半泣きになりながら尋ねてみた。そうやねあなたは尽くす人やから、と笑われた。理不尽すぎるだろ。私の人生って何なんだ。いやそこまで本気でこの占いを信じているわけじゃないが。あんまり相手に見返りを求めると、後ろ足でしゃっしゃってされちゃうかもねえ、と言われた。貴方は与えられるより与えることで喜びを得る人でしょう、と。この人の占いの中で私はどんな聖人として扱われているんだ、とちょっと怖くなった。別に私はそんな出来た人間ではない。

悪いことに関しては、ちょっと言葉がきついことに対して注意をされた。貴方は親しい相手になればなるほど言葉がきつくなるから、そこに気をつけなさいと。あと飽きっぽいことについても指摘をされた。ある程度やったら何でも終わりが見えちゃうでしょう。人間関係もそうで、相手のこと知りたい知りたいと思っていろいろ深堀りするけど、ある日突然興味をなくすでしょうと。あながち間違いでもないのが腹立たしい。全部心当たりのある私の欠点である。

最後に、あなたは段々与えることが楽しくなってくるから、と言われた。ただそのためにはまず一番最初に自分を満たしてあげてね。じゃないとなんで自分ばっかり~ってなっちゃうから、と笑われた。実際に毎日そうなので何も言えなかった。早く満たされて与えることを楽しめる人間になりたい。助けてくれ。博愛の人は大変ねと笑われたが、ならどうしたら救われるのか教えてくれよと心から思った。

とまあ、羅列すると散々な占い結果だったわけである。なまじちゃんと人生相談に乗ってもらっただけ苦しかった。総括としては、これは占いとかじゃないよなという感想に尽きる。私は基本的にスピリチュアル系のことに対して興味関心を持ち好意的に見ているが、一方でそれらの存在を信じてはいない。理屈で説明できることをスピリチュアルな理由づけによって大衆文化に溶け込ませているのでは、程度の認識である。だからこれも占いとかではなく、多分私の反応をみていろいろとコメントを出しているのだろうなと思った。それゆえに最初のあたりは耳触りの良い評価を私に向け、話が深まってきたあたりで私の人格に対するそれっぽい切り込みを投げてきた感じがする。そうであってほしい。じゃないと私は天性の尽くし型として生きていく運命だと認めざるを得ないから。

まあただ、占いは面白かったのでみんなも機会があれば是非行ってみて私に感想を聞かせてほしい。自分以外の人間もこんな風に言われているのかすごい気になるので。

余談だが、今回の占いでも赤いパンツを勧められた。占い界では流行っているのだろうか……赤いパンツが……。