晴れているとは言いがたく

tani449
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公開:2026/5/2

Blueskyのアカウントを作った。Twitterで知り合った友人はもう引っ越し済みの人も多く、個人的には「遅れてやってまいりました」という気分。

できれば、Blueskyに限らず、新しいSNSのアカウントは作りたくなかった。そもそもSNSがないとやっていけないような人生は御免こうむりたいんだ。私にとってTwitter(現X)から移るということは、「自分にはSNSが必要なのだ」と認めることになるからね。このまま終われたらいいなと思っていた。

それでもアカウントを作ったのは、もともとTwitterで知り合った友人と会話している中で、すでにBluesky上の文脈が共有されていると感じる場面が増えてきて、率直にさびしかったため。コミュニティにアクセスするための手段として、アカウントを持っておく必要を感じてしまった。

自分自身のSNSでの投稿の仕方はというと、以前は日々のできごとや周囲の人とのやりとりも気軽に書いていたが、最近はそのうちいくらかは控えるようになった。特に、誰かに言われたことや他人への所感については、たとえ良い話であっても、投稿することに抵抗が高まってきた。

今は知人の言動に触れるときは、「その人が目の前でこの投稿を声に出して読んでも、お互い平気でいられるか」を基準にしている。ただし、この基準を緩めてもよいと感じてしまう対象もあって、それが

①もう亡くなった人

②接客として接してもらった人(店員さんや美容師さんなど)

③身内(配偶者や親)

である。

①は相手から直接的に反応が返ってくることが無いから。そもそも目の前で読まれることが無いからな。(ただしその人の周りにいた人に影響を及ぼす可能性に注意が必要)

②は、その場限りの役割として完結していて、お互いが個人の全体像を知らないから抵抗が薄い。会社の人間関係はもっと全人的なのでここには該当しない。

③は甘え。ゆるされると油断しているからだ。配偶者は私がしばしばつぶやいていることを知っていて、「ほら、これTwitterに書いていいよ」などと言ってきたりもするから、まあ甘えている。親への恨み言を垂れ流すのは全く安全ではない。いつか後悔するときが来ると思う。こういうのを自他境界が緩いと言うんでしょう。

「しずかなインターネット」に親戚の話が多くなっているのもこういう理由で、生きている他人について踏み込んで書くことを避けた結果、書いてもいいと思える対象がそこに偏っている。

Twitter(現X)は過去のデータの蓄積があって検索に便利だから移行をためらっていたけど、最近は対象を絞ってもなお新しく投稿する意欲が湧かず、どのみちSNSに書きたいことは無くなったんだわ、と思っていた。ところが、Blueskyにアカウントを作ってみると、毎日ひとりでべらべらと話し続けている。なんなんだ。オフラインの日記のほうがなんでも書けて自由度は高いはずだけど。日記は続かず、SNSは続く。

SNSが必要な人生を送りたくないのに、短文中心SNS形式のアウトプットがめちゃくちゃ合っているんだ〜嫌だ〜!!

認めてしまえば楽になる。いや認めませんが。

少なくとも、Blueskyの用途として「コミュニティへの参加」と「日々の所感の吐き出し」が混ざっている状態は、いつかジレンマを引き起こしそうな気がする。であれば、目的ごとにアカウントを分けることで、整理はつきそうではある。ただ、SNSを上手に使いこなすことにも抵抗があり、もうしばらくはこのまま青空にもくもくと独り言を投げつけるつもりでいる。

なお、Blueskyでは文字数制限を全く気にしておらず、連投して1つの話を数百字で書くこともある。そのほうが他人から絡みづらくていいだろうという曲がった根性もあり…。そうした長めの投稿は、後から「しずかなインターネット」に転記していくのもよさそうだね。