福島の宿の薪風呂で、ぼやぼや考えていたこと

tanimutomo
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1人でお風呂に入ってると、スマホもないし話す相手もいないから、勝手に最近モヤモヤしてたこととかに対して、自己の中で対話が始まるので面白い。

二つくらい考えてた。

1個目

100年後に人類はビーガンになる、とか言ってみたことがある。

今の家畜の方が人間より多かったりする世の中は結構すごい構造だと思う。

我々の範囲が平和とともに広がっていく過程で、そこにあらゆる動物も包摂されて、動物倫理の観点から家畜は減っていく時代が来る気がしてる。

で、適当に100年後に0とか言ってみている。

ただ、動物だけに倫理は適用されるのか?いずれ植物に対しても同じことが起こる可能性があるのか?

意識があるかどうかなどは、人間からみた動物の分類だとユクスキャルは言うだろう。

となった時に、動物と植物の境とはどこなのか?

そもそもそんな境界があるのか?ないとしたらこの問題をどういう方向性に思考していったら、別の議論ができるだろうか?

2個目

利他精神を根底にもつことが幸福につながるとは思うが、やりがい搾取される可能性もある。

個人としての独立を保ちながら利他精神を持って行動をするためには、ある程度の能力や社会的な地位が必要なのかもな。

利己的なやつの下にいてそこから抜け出せない限りは、搾取される構造に巻き込まれる。

ただ、それで個人の地位や能力が目的化していくことに抗い続ける必要がある。それがなかなか難しいんだろうな。

それで飲み込まれないようにできることが強さなのかも。

その強さなのかなんなのか、巻き込まれないだけの土台を作るのに、宗教はデカそうだなと最近思ってる。

本人がクリスチャンであるかどうかはどちらでも良いけど、クリスチャン的教育なるもの?が影響として大きいかもな。

また誰かと対話したり、本読んだりして、思考深めて楽しもう。