今日は東中野で映画『ラジオ下神白』を鑑賞。
原発事故によって避難を余儀なくされた方々の終の住処として建てられたいわき市の団地で、いわゆる電リクのような取り組みをされているボランティアの方々のはなし。被災者と大雑把に一括りにせず、一人ひとりの人生や思い出と向き合っている。しまいには彼らのカラオケの伴奏をよりよく(歌い手の店舗に合わせて伴奏する)行うためにバンドまで組んでしまった。
「被災者に寄り添う」と文字で書くのは簡単なことだが、その個別性と向き合う姿勢は尊い。いわゆる帰宅困難区域に指定された土地でかつて暮らしていた人たちが今さら戻るということはあまり現実的ではなく、その状況で彼らの暮らしを支え、なおかつ被災地の復興を進めるというのは、なかなかの難題である。
それでも「お墓だけでも故郷に」という要望は多く、彼らの墓標としての故無軌道に再開発されていいとは思えないのだ。かつて暮らしていた人、今も暮らしている人、新たに暮らし始めた人。それぞれの思惑はあるが、そのすべてに対応する最適解を私は見つけてしまった。
それは、かつてそこに存在していた店舗の事業承継である。
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“ 交わす言葉も寒いこの都会、これも運命と生きて行くのか? ”
『大都会』クリスタルキング