ある時、某バツ印SNSのトレンドの所に「安楽○を認めてくれ」っていうのがあって、なにかモヤッとしたので、なんだろうって考えた。
自分も今までは、とりわけ反対という意見ではなかったのだけと、今回は、なぜかそうじゃないのでは、と、ふと思った。
それじゃ何も良くならないって。
しんどい、つらい、じゃあ、この世界からいなくなればいい。簡単だ。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
確かに、どうしようもないつらさはある。天災、病気など、自分のコントロールを越えた自然の厄災は、多かれ少なかれやってくる。人間関係の悩みも、自然災害のようなものだ。老いの問題もそう。
それならば
色々なハンディやしんどさを抱えている人でも、普通に生きていける世の中にしてくれ、せめて、最低限の衣食住と、少しでも生きている楽しみを得られる、そういう世の中を作る政治をしてくれって、言わないといけない気がした。安楽○という行為を認めたって、しんどい人が誰も救われない気がしたんだよな。
しんどくても、同時にちゃんと楽しさも感じながら生きていけるように、そういう世界を作れるように、自分のしんどさが使われた方がいい気がするんよな。
せめて、誰かの役にたちたいやん、
簡単に「じゃあ、いなくなればいい」って言いたくないやん。