1月2日にあった坂本真綾さんのライブで「抱きしめて」という曲を初めて聞いた。優しくて温かい曲の中に、虚しさが込められているようで、僕は悲しくて号泣してしまった。 ソロ参加なのと最後の曲だったのもあって会場を出る時も1人ぐずぐず泣き歩いている変な人になった。思い返すとちょっと…いや、かなり恥ずかしかった。
坂本真綾さんの曲前MCによると、火狩りの王という「過酷な世界で懸命に生きる子ども」の話のED曲らしく、「抱きしめて」もそういった子どもを意識して作られたものだという。
とても明るく諭すようなバラードなのに、1番終わりにだけ3拍子による若干の不安定さが入ってきて、僕はこの曲の世界が大きく不安定なものであることを強く感じた。 また、ピアノとヴァイオリンは陽だまりと壮大さホルンとチェロが不安さを表しているようで、その感情が交互に来るのもとても素晴らしいと思った。
僕はその世界でただ『抱きしめて』と伝える事に終止しているこの歌の哀愁に涙が止まらなかった。大人が子どもに与えられるものがなく、抱きしめてと諭すことしかできない世界なのかと。
歌詞は悲惨な現状でも必ず明日が来る、その陽の暖かさを感じて、抱きしめて欲しいとずっと言っていて、抱きしめる程に強く思わないと感じられない世界。 あまりに虚しい。僕はそんな世界を残すのは嫌だ。
自分がとても恵まれて愛されて育ったのもあって、子どもはできるだけ大人の都合による悲しさからは遠くあってほしいと思っている。特に理不尽な暴力からは遠くあってほしい。
争いが増えてメディアから「死に直面している子ども」の情報が入ってきて、僕はその度に「抱きしめて」と思い、生きていることを願うことしかできない無力さを突きつけられている。
付け焼き刃かもしれないけど、取り敢えず自分の生活に支障をきたさない範囲でユニセフへ寄付した。もっと稼げるようになってこういった機関への寄付額を増やせたらなとは思う。
世界中の子ども達が陽だまりを感じられる世界を願っています。