記憶の補助輪としての写真

tarokappa
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スマホで猫を撮影している光景

なんでも撮る。

食事、風景、看板、景色。スマホカメラのシャッターは、私に撮っては記憶の代替だ。

忘れるのが怖い、だから撮る。

何の変哲も無い町並みを、ただ撮っておく。

整理はしない。アルバムにまとめたり印刷したりはしない。タグ付けもしない。時系列に並んでいれば、それで良い。

すべての写真をGoogle フォトにアップする。共有はしない。保存だけ。

たまに振り返る。ただ流し見ることもあるし、目的をもって振り返ることもある。

検索することもある「ホットケーキ」「マンホール」「赤色」、あるいは好きな人の名前。

そのときそのときの体験を思い出すために写真を使う。だから写真は記憶の補助輪だ。

↑いつか作った山盛りホットケーキ

ディスプレイを拡大した三原色の写真

↑戯れに撮ったディスプレイの拡大写真

蓮の花

↑牧野植物園で撮った照らされた蓮の花

妊娠中の母体を模した彫像。首より上がない

↑大手町駅にある母性的な像