小説『2001年宇宙の旅』(1968年)アーサー・C・クラーク
映画版『2001: A Space Odyssey』(1968年)スタンリー・キューブリック
自創作を一応SFとか言っておきながらこれらを未履修だった。オーディブルにて2回視聴。アマプラで映画版も見た。めっちゃ良かった。
オーディブルでの1週目の感想は「えっ!?さっきまで人類誕生すらしてなく猿が原始的な生活してたのにいきなり現代になって知らんおっさんが月に!?すみません…何もわかりません…出直します…」だった。
1週目の後半で、これはもしかしたらストーリー映画というより架空宇宙ドキュメンタリーなのかもしれないと思い至ってから見え方が変わった。変わったというより何もかも意味不明すぎるだったのがまだ意味を手に取れる(気がする)状態になった。
現象を淡々と描写するところと、人間を物語の軸におかない、それどころか進化途中のひとつの形態にすぎないというような扱いでストーリーが進むところがよいと思った。(猿の道具獲得の場面から急にイケオジの月面旅行なのも、現生人類と猿人類が地続きという表現だと受け取った)特に映画ではそのようなスタイルで制作された作品は滅多にないのではないか?SFでもベッドシーンあり、家族愛や1人の人間の人生の選択の話が主題になるとかそういう物が多いと思う。
私の観測している範囲でだけど、この作品のような方針で作られたものには本当に滅多にありつけない。恋愛やエモーショナルのための人死に、慟哭のない作品は個人的に本当にありがたい。
映画版はCGが使われていないということで背景美術やライティングにたいへん感動した。重力の表現、未来的なデバイスや生活様式の表現がとにかくすごい。特撮っぽさを感じるかもと思ったけどそれが全然なく、どちらかというと精巧なストップモーションを見てる時の気持ちに近い。喋り方とか音声のヴィンテージ感はむしろ格調高い印象を受けるし、公開から50年以上経っても全然古い感じがしない。
意味不明の叫び声のような音声とピカピカ光る謎の映像が超長尺で流れるところと、多用されるオーケストラ音源が現代人にとっては「CMで100万回は聞いたアレ」すぎた部分はちょっとつらかった。
もし未読・未視聴の人がいたらここから下はできれば見ないでもらいたいのですが、見る予定がなかったり、オタクの性癖の話にご興味のある方はどうぞお進みください。
では申し上げます。
HALえっちすぎ。
真面目にSF映画を見てたのに、急に高度知能解体ショーが始まった。
オーディオブックではまだ会話劇があるが、映画では特にいらんセリフはまったく省かれていて物語として最低限の部分にしか会話がないです。(会話がいらない部分は謎サウンドだったりオーケストラだったりただの息遣いだけだったりする、それで映画を成立させてるのがすごい)
その中で、高度知能(HAL)が少しずつ部品を抜かれて幼児退行していくようすをしっかり尺取ってやるんですね。そんなのえっちすぎる。
HALとは宇宙船の操作やインフラや医療的管理などすべてを担うコンピュータで、あまりワードを出したくないけどチャットAIのような感じで船員と会話ができる。このHALはある致命的な"ミス"をしたために破壊されることになるんですが、それが1個ずつ部品を引っこ抜くという方法で(作中でも「ロボトミー」と表現される)HALは初めはやめてくれとか命乞いをするけど、「頭がぼんやりしてきた」と言って、だんだん発言が幼稚になり、うわごとのように自分の名前やどこの工場で生まれて…とか、歌を歌い始めたり、ついさっきまで宇宙船の全権を握る冷静な高度知性だったのに、そんなふうになっちゃって、え、え、えっちすぎる〜〜〜〜!!!!!
高潔・冷静・高知能、ついさっきまで頼れるアシスタントだった存在がまるであかちゃんに…しかもそれも、物語はただのひとつの過程として扱う。良い!!!
HALの話終わり。
モノリスが結局なんだったのか私にはよくわからないんですが、モノリスや、最後それにたどり着いたあの人間がなぜあれになったのかとか、映画全体の「謎さ」「わからなさ」も含めて受け取っていいのかなあと演出の数々から感じたので、わからなくて良いのかもと思った。
宇宙とは?人間とは?を高純度で浴びられる感じで、とてもおすすめ。高度知能幼児退行がお好きな人にもおすすめ。
HALの話についての追記(2026/07/27)
苦手な人もいると思うので記事内でなるべく避けていた、「私はこういう人でこういうものに興奮する」というような半分自己紹介めいた論調をこちらの追記ではどんどん行っている点をご承知おきください。
まず、私は単なる高度知能解体ショーに興奮しているのではない。
高度知能解体の段階的な過程を丁寧に描写すること、その過程が淡々と処理されること、知能の高さと退行した様子がしっかり対比されていること、かつ、解体に至った正当な根拠を視聴者にしっかり提示してあること、それらの複合物に興奮している。
もしストーリーの軸が人工知能と人類の対立の構図だったとして、激しい戦いの末に敵(人工知能)の脳を少しずつ破壊して幼児退行した無様な姿をたっぷりと晒させて勝利!というのはシンプルに尊厳破壊であり、どうにも露悪的である。それだけ幼児退行という属性はセンシティブなのだと思う。
その点で「2001年」ではHALの解体はただの非常事態に対する対処であり、「ある程度の機能を持たせたまま宇宙船の管理権限を取り返す」という事前に示された必要性及び方針に基づいた行為である。それが終えたら目的のため次の仕事に移行する。そこに慟哭も爆発もない。淡々とそうなる。その温度感がすばらしい。「必要だからそうした」ことと、退行をエモーショナル消費やカタルシス発生装置にしないことが大事。
必然的にそうなったことを丁寧に扱った作品は他にもいくつか知っているが、その過程と結末はストーリーの主軸に組み込まれて盛大に演出されていた。今回はそれをただの一場面として通過させたあの映画の胆力に脳を殴られたのだと思う。