趣味やめエントリを読んだ。
趣味をやめると宣言してしまうと本当にやめないといけなくなるから、わざわざ宣言しなくてもいいのではないか。それとももう絶対に戻らないという意思表示なのだろうか。
そもそも趣味にそこまで真剣に向き合わなくていいのにと思うけれど、近年の推し活という言葉が時間と情熱と金を投入し真剣にならざるを得ない状況を作っているのかもしれない。そりゃ疲れるよね。
今はお休みしてるけれど、いつかは戻る(かもしれません)ぐらいの余白を作っておくと楽になる。
水中ウォーキング、ちょっと休んでますけど再開予定です。あ、あと普通のウォーキングも寒いからやめてますけど、暖かくなったらやります。それとジョギングも去年1回走っただけですが、またいつか走るつもりです。ボルダリング?はい、そのうち。近所に新しくジムができたら…。短編小説を書く?あーえーっと生きてる間に書けたらいいですね。
曖昧さは自尊心を守る盾として利用できる。いつか、もしかしたら、かもしれない。